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「800字文学館」

耳の話

内藤 真理子

 左耳が聞こえない。小学生の頃二階から飛び降りて足の骨を三本折った。中学になってから学校の聴覚検査で、それが原因で聞こえないことがわかった。それまで聞こえないことが分からなかったのが不思議だが、当時は親も私も骨を折ったことに頭がいっぱいで気が付かなかったのだろう。四人兄妹末っ子の私は自身もボーっとしていたが、周りも私の聞こえないことに全く気づかなかったのだ。
 それから様々な病院を歴訪したが、いかんとも時が経ち過ぎている。とどめは、姉がテレビで見たという仙台の病院を受診した際の「左耳は無いと思ってください」の一言だった。
 それでもあまり困ることもなく過ごしてきた。だが最近は加齢で右耳も聞こえなくなった。人と話していても「えぇ?」と何度も聞き返し肩身の狭い思いをしている。

 話は変わるが、近頃夕食の後片付けをしていると、目の前の窓ガラスにヤモリがやってきて身をくねらせたり、逆さになったりと一しきり遊んでいく。あまりに可愛いので「オイ」とか「やー」とか声を掛けるのだが全く反応をしない。耳が聞こえていないのではないかと思っていた矢先、孫がやって来た。「ほら、ヤモリよ」と見せると、孫は興奮して「パパ、来て、ヤモリがいるよ」と大声を出した。すると見たこともない程の速さで五本指の手足を動かして逃げて行った。
 それを見ながら、ヤモリも加齢で耳が遠くなっているのかもしれない。そうだ私も補聴器を入れよう、と突然思った。まともな動きや判断力には聴力が不可欠なのでは……。
 早速、知人が薦めてくれた補聴器の店に行った。すると、
「二週間無料でお貸しします」と言われ、つい図に乗って「左耳が全く聞こえないから、左耳の近くで収音して右耳迄引っ張って聞こえたらいいのにと思うのですよ」と、軽口をたたいた。
「あー、そういう補聴器があります。それもお貸ししますよ」
うっそー! かくして、現在は前後左右の音を全部右の耳が引き受けて聞こえている。

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