神武東征と「朱」の関係 ③
2回に亘り神武東征を考えた。それは水銀朱を求めて九州から東進した鉱山師集団であり、彼らは大和の纏向に交易場を開設して鉱物取引を行った。さらに代々の鉱山王は古墳を築造、後に大王と言われる存在になったと述べた。
王権は最初から大和にあったとする学者はその成り立ち――大和の山奥に何故王権が生まれたか、その理由を説明できないでいる。天から降ったか、初めからそこにあったかのような口ぶりである。しかし、水銀朱鉱山の開発のために人が集まり、権力が生まれ、徐々に強大になったと考えたい。
ところで、記紀には様々な人物が登場するが神武以降はどうであろうか。例えば、実在が確かな最初の大王と言われる第10代の崇神は四道将軍を各地に派遣したとある。次の垂仁は、天照大神を祀るべく倭姫に命じて畿内諸国を経めぐらせた。さらに次の景行は九州征討に乗り出し、息子の日本武尊には東日本各地に遠征させた。
学者はこれらの記述を、大王がその支配領域を拡げるためと説明するが、そんな漠然とした説明でよいのだろうか。想像の域を出ないが、水銀朱などの鉱物探しを目的に派遣したとは考えられないか。四道将軍は勿論のこと、倭姫の遍歴も巫術に勝れた姫を伴って鉱脈を探させたのではないか。姫の終着地の伊勢は水銀朱の宝庫である。神武が立ち寄ったとされる宇佐神宮などと同じく、伊勢神宮は鉱物開発の基地だったのではないか。
日本武尊もそうである。故森浩一教授は、武尊の足跡をたどると至る所で鉱物にいきつくと述べている。正にそうである。帰途、武尊は伊吹山で有毒ガスにやられるが鉱山ガスであったかも知れない。
記紀に記載された日本神話は、戦前の皇国史観への反省からその内容が厳しく否定されてきた。だが神話の寓意を読みとって上記の見方ができないだろうか。学者は揚げ足を取られまいとその主張が非常に慎重である。面白くない。江上波夫のような壮大なロマンを期待したい。古代史は面白い。