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「800字文学館」

母とことわざ

大津 隆文

 私の母は大正生まれで小学校しか出ていなかったが、ことわざはよく口にしていた。来し方を振り返ってみると、そのことわざに教えられたことは大きかった。
 よく耳にしたのは「嘘は泥棒の始まり」だ。私の父は警察に勤めていたので、「お巡りさんの子」「駐在の息子」が泥棒になっては大変と子供ながら肝に銘じていた。さらに怖かったのは「天知る地知る己知る」というのだった。だからといって嘘をつかなかった訳ではない。切羽詰まって、我が身可愛さのため、理由はともあれ、ついた嘘のいくつかはいつまでも記憶から消えてくれず、今も心の傷となっている。
 育ち盛りが終戦直後であったためよく母に空腹を訴えていた。そんな時に返ってくるのが「武士は食わねど高楊枝」である。腹の足しにはならなかったが、子供心にもこのことわざはなぜか格好よく響いた。辛抱することの大切さ、やせ我慢の美学のようなものを教わった気がする。そのお蔭か、あるいは消極的な性格故だったのかはよく分からないが、後年私は贅沢しようと背伸びはしなかった気がする。
 それにしても、腹を空かせた子におやつを与えられなかった当時の親は、子供以上に辛かったであろうと、今になってはよく分かる。

 反発を覚えたことわざもあった。当時は子供が多く、かつ一緒に遊ぶ時間もたっぷりあり喧嘩もよくした。負けず嫌いの私は「負けるが勝」とたしなめられると、自分が正しいのになぜ負けなければいけないのかと激しく反論していた。これに対しては「ならぬ堪忍するが堪忍」とか、さらには「韓信の股くぐり」まで出して諭された。
 当時の我が家では、成長期の子供の服や靴はすぐ小さくならないよう、大きめのダブダブの品をあてがわれることが多かった。不平を漏らすと「大は小を兼ねる」と聞き流されていたが、ある日「しゃもじは耳掻きにならないでしょ」と一本返すことができたのは嬉しかった。
 母の教えることわざは古くさく感じていたが、ことわざは人生の教訓、生き方の知恵に満ちているようだ。

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