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「800字文学館」

肋骨骨折でよかった

斉藤 征雄

 アイスランドのある観光地でのことだった。落差60mほどの滝。岩山から流れ落ちる滝の風景は平凡で、何の感興も湧かない。ガイドに連れられてぞろぞろと滝つぼまで行ったが、つまらないので一足先にバスに戻ろうと思って河原の道を歩いていた。

 突然、突風が吹いた。「あっ!」と思って帽子を押さえたが遅かった。帽子は風に吹かれてころころと河原を転がっている。私は走って追いかけ数メートルで追いついたが、帽子はまだ転がっている。急いでそれを拾おうとした。その時、石につまずいた。そしてものの見事に肩から地面に落ちた。全体重が肩と胸にかかった。
 カミさんの他に、2~3人の外国人が私のところに駆け寄って声をかけてくれた。私は「ドンマイ」と短く答えて起き上がり、埃を払って何事もなかったように歩き出しバスに向かった。
 幸いツアー仲間の日本人はまだ滝つぼの周りにいて、私のことに気づいた者は誰一人いなかった。

 最初それ程の痛みは感じなかったが、時間が経つにしたがって痛みが強くなってきた。ツアーは終盤にきていて、あと一日観光すれば帰国の途につける。
 翌日も痛みは和らぐどころか、更に強くなった。添乗員に相談すれば病院に連れていかれるのは目に見えている。骨折でもしていれば予定の便で帰国できなくなる可能性もある。ここは人知れず痛みを我慢するほかはない。この日の観光は露天風呂に入るのがメインだったので助かった。
 最後の夜ホテルの部屋でワインのボトルを一本空けて寝たが、あまりよく眠れなかった。帰国の機内でもワインで痛みを紛らしながら、ようやく成田に到着することができた。

 翌日自宅近くの整形外科医院へ行った。レントゲン写真を見ながら医師は「肋骨が一本折れていますね」と、事も無げに私に告げた。
 完治するまでに二か月近くを要したが、転んだとき頭を石にでも打ち付けていればこんなことでは済まなかったかもしれない。そう思えば幸運だったということにしよう。

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