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「800字文学館」

三車火宅の譬喩(ひゆ)

斉藤 征雄

 ある億万長者が広大な邸宅に住んでいましたが、ある時邸宅に火事が起こりました。長者は逃げ出しましたが幼い子供たちが燃え盛る「火宅」の中にいて、遊びに興じています。長者が「早く逃げろ」と叫んでも、子供たちは自分が置かれた危険な状況が理解できず、逃げようとしません。このままでは焼け死んでしまいます。
 そこで長者は一計を案じて「今、門の外に珍しい羊車、鹿車、牛車の三つの乗り物を用意してある。それで遊びなさい」と嘘をついて子供たちを連れ出し、事なきを得ました。
 そして子供たちが「三つの車は?」と訝るのに対して、それよりもはるかに立派な宝珠で飾った上等の大白牛車を子供たちそれぞれに与えました。
 長者の富と愛は無限でした。

 これは法華経・方便品の「三車火宅の譬喩」の簡単な要約です。
 長者は仏のこと、子供たちは煩悩の中にいる衆生を指します。そして燃え盛る火宅とはこの世つまり娑婆世界のことを意味します。
 悟りへの実践は乗り物に例えて、声聞乗、縁覚乗(以上が小乗仏教)、菩薩乗(大乗仏教)の三乗が説かれますが、羊車、鹿車、牛車はそれらを象徴しています。
 法華経では、三乗は衆生のそれぞれの段階に応じた方便であって、真実の実践は一仏乗(それをここでは大白牛車に象徴)に帰着すると説きます。一仏乗とは、純粋の信仰心を持てば誰でも無限の仏の慈悲によって悟ることができるということです。難しい修業はいらないのです。
 以上の法華経の教えを「三乗方便・一乗真実」といいます。

 沖縄の首里城が激しく燃え落ちるさまをテレビで見ながら、私は「三車火宅の譬喩」のことを思い出していました。法華経は「三界は安きことなくなお火宅のごとし」と言っていますがその通りで、この世は「火宅無常の世界」だということを、映像は如実に示していました。

 今年は災害の多い年でした。来る年が平穏であることを祈りつつ、火宅無常の世にあってもできるだけ平常心でいたいものです。

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