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「800字文学館」

クレオパトラの針

塚田 實

 年末慌ただしくなると、何年か前のニューヨークのことが思い出される。タイムズスクエアでのカウントダウンに参加しようと思ったが、大晦日の午後3時には入場が制限され、一旦入ると約10時間後までトイレにも行けず、閉じ込められる。自信がないので、カウントダウンは諦めた。  しかしコンサート、オペラ、ミュージカル、美術鑑賞を楽しんだ。

 新年を迎えたある日の早朝、底冷えのするセントラルパークを横切り、メトロポリタン美術館に向かった。美術館に近づくと公園の一角にオベリスクがあった。訪れる人はほとんどいない。「クレオパトラの針」と説明があった。
 塔に刻まれたヒエログリフとしばし格闘し、朝一番美術館に駆け込んだ。真っ直ぐ「ヨーロッパ絵画」部門に向かうと、フェルメールの絵5点が展示されている。周りに人はいない。次に印象派の絵画を丁寧に観る。お昼は1階のペトリ―・コート・カフェで摂った。席に案内されると、すぐそばにマイヨールのふくよかなトルソーがあり、窓の外にはクレオパトラの針が立っている。白ワインを飲みながら、悠久の時の流れに思いを馳せる贅沢なひとときだった。

「クレオパトラの針」は世界に3か所ある。いずれも製作年代はクレオパトラ時代と異なるが、なぜかそう呼ばれている。1つはロンドンだ。ニューヨークのものと対になっており、紀元前1450年頃のトトメス三世時代に作られた。テムズ川河畔に設置されており、ロンドン駐在時、散歩で何度も見上げたことがある。

 3つ目の針は、パリのコンコルド広場の真ん中にある、かつてルクソール神殿の入口に立っていたオベリスクだ。この広場から西に向かう大通りがシャンゼリゼで突き当りは凱旋門。一度広場の一角にあるオテル・ドゥ・クリヨンに泊まって、夕陽に染まる塔をじっくりと眺めたことがある。

 世界3都市のオベリスクに名を残すエジプトの女王クレオパトラは、赤色花崗岩の針で何を縫うのだろう。

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