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「800字文学館」

古代史と仮説

首藤 静夫

 歴史学者井上光貞が述べている。
 歴史ファンも自分の仮説を持つべきだ。仮説があると、新たな発見や意見が現れても自分の仮説と引き比べられるから、大きく逸れることはない。

 歴史の謎に挑戦するのは素人でも楽しい。今年の収穫は古代史の最大の謎、「神武東征」に迫ったことである。また、その関連で出雲神話の成立過程を覗けた。骨子のみ紹介する。

  • 神武東征は、水銀朱などの鉱物を求めて、九州から近畿まで一山また一山と移動した鉱山師集団を神武一行に表象した。
  • 近畿にたどり着いた彼ら(天孫族)は先入の出雲族の領域に侵入、日本最大の水銀朱鉱山群を獲得した。当時の出雲族は日本の広い範囲を影響下に置く最大部族であった。近畿では三輪山や葛城を中心に勢威を張っていたが新入の天孫族に敗れた。敗因究明はこれからの課題だ。
  • 天孫族は水銀朱を売りさばく市場を開設した。それが纏向遺跡の地である。纏向は、元来出雲族の縄張りだったと思うが武力で奪取された。
  • これら両部族の闘争が出雲神話の中の大国主命の国譲りである。国譲りは大和で行われた。天孫族のリーダーは大王となり、次第に勢力を拡大した。
  • 天孫族は、出雲族の後に渡来した一派、住吉族であろう。北部九州から瀬戸内海を経て大阪に至る各地に彼らの拠点、住吉神社を作った。出雲族の稲作中心と異なり、少々荒っぽい武闘派であった。各地への進出も飛び飛びで、尺取り虫のように拡がった出雲族とは対照的だ。このあたりは、三橋一夫著『神社配置から古代史を読む』他が参考になった。住吉族も氏の命名だ。

 さて、この天孫族の大王である。今日まで万世一系を唱える歴史家も多いがそうだろうか。壬申の乱前後が怪しい。天武亡きあと、持統帝と藤原不比等が組み、彼らに都合よく歴史を改ざんしたらしい。事実が掴みにくい。それに比べると、神武東征や出雲神話は素直な記述といえる。
 素人のヤマ勘で解く古代史の謎である。来年はどんな仮説が生まれるか。

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