作品の閲覧

「800字文学館」

「独歩と藤村」雑感(「何でも読もう会」余滴)

斉藤 征雄

「何でも読もう会」で、Sさんが独歩の『武蔵野』と藤村の『千曲川のスケッチ』を「日本における叙景文学のはしり」としてレポートし、みんなでそのサワリの文章を味わった。いわゆる言文一致の確立に貢献したといわれる二人の文章は、やや肩に力が入っている感はあるが、読みやすくすんなり情景が浮かんでくる。

 私は『武蔵野』を読むのは初めてだったので、後日全文を読んでみた。おもいがけず、おいしいカレーライスに出会ったような気分とでもいおうか。武蔵野の美を詩趣と表現する独歩の感動は、日本的自然の美しさへの感動と言ってもよい。それを現代に通じる文章でおいしく味わった気がしたのである。この齢になれば特に、時にはこうした文章に身をゆだねるのは気持ちのやすらぎになると感じた。

 独歩と藤村の文学は自然主義の出発点と位置付けられるらしい。空想や感情ではなく現実のあるがままを描写する文学である。そういう意味では鷗外や漱石の抒情とは異なる。
 藤村の自然主義の代表作は『破戒』とされる。封建的環境の中で差別問題に悩み、それを内面的に克服する人物を主人公に描いており、『千曲川のスケッチ』とともに舞台は信州である。藤村は、これを契機にして詩から小説に転じた。

 たまたま今年の夏、越後から飯山線で信州に入り、しなの鉄道で小諸に行き一泊した。ローカル線を普通列車でのんびり行く旅だった。出る前に『破戒』と『千曲川のスケッチ』を読み直してみた。若い時読んだが忘れていたので、それぞれ新鮮だった。そして列車は、飯山線、しなの鉄道とも千曲川に沿って走った。信州には、日本海側とも関東とも異なる特有の風情と文化がある。
 そんなわけで、今年は信州の千曲川に縁の深い年だった。その千曲川が、秋の台風による豪雨により各所で被害が出た。悲惨なニュースを見ながら心を痛めていた矢先に「何でも読もう会」で藤村の話題になったので、私にとっては思いが重なったのである。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧