イランの思い出
今から三十年近く前、一度だけ出張でイランに行ったことがある。サウジなど中東の国には何回か行ったことがあったが、イランは初めて。恥ずかしながらサウジもイランも似たようなものだと思い込んでいたが、テヘランの空港に降り立って、顔つきも服装も全然違うことに気がついた。それもそうだ。片やセム語族で砂漠の隊商ベドウィンの子孫、こちらはインド・アーリア系で、紀元前六世紀、アケメネス朝時代からのペルシャ文明を受け継いでいる。
テヘランはエルブルズ山脈南麓、標高千二百メートルの坂の町で、山の向こうはカスピ海に至る。当時はすでにアメリカと国交断絶の状態にあり、背広姿でもネクタイはナシ、旧ヒルトンホテルなどもすべて違う名前に替えられていた。
仕事の話は別にして、テヘランでの思い出はパーレヴィ国王時代の王宮を改造したカーペットミュージアムと、そのあと行ったバザールでの買い物。十二万円のシルクの絨毯を八万円位に値切って喜んでいたのだが、現地の人に言わせるとそんなのは始めから織り込み済みで、三日くらい粘って半値以下にするのが当たり前だとか。
テヘランの南三四〇キロの古都イスファハンに日帰り旅行した。一六世紀末、イスラム神秘主義集団の王朝が築いた都で、ザクロス山脈に源を発する内陸川の畔にあり、イラン人の官僚に支えられて繁栄を極め、当時「イスファハンは世界の半分」とまで言われた。その時代の面影を残す王の広場には、二本のミナレットを従えた壮麗な金曜モスクが聳えており、モザイクをちりばめたファサードが夕陽に輝いている。
バザールでカリグラフ(装飾アラビア文字)の絵皿などを買い込んだあと、アッバースホテルで夕食を済ませ、空港に戻って帰り便を待っていると、狭いロビーはイランの人であふれかえっており、皆じっとテレビの画面に見入っている。何を見ているのかなと近寄ってみると、なんとペルシャ語に吹き替えられた日本のドラマ「おしん」であった。