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「800字文学館」

日本の飯、西洋の飯

志村 良知

 丼物、麺類は別にして、日本料理とは酒の肴か米飯のおかずであって、その一皿あるいは一碗をひたすら食べて終りとする料理ではない。
 食レポ番組でも、「酒がいくらでもすすみそう」「ご飯に合う」「白飯はありませんか」などは、その場の料理への最大の誉め言葉である。つまり、料理は酒かご飯の従者である。
 このことを理解しないと日本料理への見当はずれの批判になる。「皿数ばかり多くて一皿の量が少ない」「味が濃すぎる」「納豆、漬物、海苔、佃煮は意味不明」。懐石料理などは理解の外、お節料理は混乱の極みであろう。

 他方西洋料理では、ビールにはお供として生まれたものがあるように思うが、基本はその一皿をひたすら食べて終りとするものが多い。これは西洋料理には米に相当する主食が無いからであると思う。一般に西洋料理においての米は付け合わせ野菜の地位であるし、パンはメインの料理の一本調子の味とテクスチャの目先を変えるためのもの、いわばフォーク休め、メインディッシュをおかずにしてたくさん食べる主食ではない。
 典型的な食事中の酒であるワインは、よほどのヴィンテージものでない限り、この料理を一番美味しく食べられるワインは何かが問題で、いかにワインを沢山飲むかではない。

 ひと昔前のベストセラー,林望先生の『イギリスは美味しい』の中にイギリス料理の主食の話があって、食通のイギリス人がひとしきり考えて、それはジャガイモではないか、と答えている。
 ジャガイモをひたすらたくさん食べるためのイギリス料理とは何かは知らないが、ここでパンと答えてないところが面白い。英国が世界に誇るというイングリッシュ・ブレックファストには薄くて固いトーストが付き物であるが、それはあの大皿の卵や豆やソーセージやジャムなどを載せる台で、けっして主食ではない。日本のパンの朝食とはちょっと趣が異なる。日本のふわふわ食パンは食感を出来るだけ似せた米飯代用だという説に同意したい。

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