政治の季節と経済の季節
今年は一九六〇年の日米安全保障条約改定から六〇周年の年だ。
安保改定問題は当時の日本の朝野を揺るがす政治的大争点だった。連日学生を中心とする大規模なデモが国会周辺に向かい、混乱の中女子東大生が命を落とす事態も生じた。岸首相は一時自衛隊の出動まで考えたと伝えられる。しかし、安保改定を強行しその後の日本の政治外交路線を方向付けた岸首相が退陣し、後任に池田首相が登場すると局面は大きく変わった。池田内閣は所得倍増計画を掲げ、国民の関心は政治から経済へと劇的に転換したのだ。
以来六〇年、日本は大局的には経済の季節にあったといえよう。経済は、国民の暮らし向き、企業の業績、経済政策の善し悪し等、基本的には数字で捉えられる世界である。理念と理念がぶつかり合い白か黒かに議論が傾く政治の世界とは異なり、物事は相対的で妥協が可能である。長く続いた経済の季節は社会が基調としては安定していた証左であり、まずは幸せな時代であったといえよう。
ところで、最近の世界は政治的対立が高まる等強風にさらされている国々が少なくない。経済がその役割を十分発揮できず貧富の格差の拡大再生産が止まらなければ、それに絶望し救いを政治の世界に求める人達が増えてくる。同時にそうした声に迎合的な政治家も出てくる。
また、民主主義は一人一票が原則であり個人の平等を前提としているが、大きな経済的な格差は前提である平等性に疑問を抱かせてしまう。資本主義という経済システムだけでなく、民主主義という政治システムまでその有効性が問われかねなくなる。
今世界のあちらこちらで吹き荒れているポピュリズムは他人事ではない。日本でも現在の経済システムから阻害されている人、脱落してしまった人等社会的な亀裂が拡大していないか、国民の声に謙虚に耳を傾ける必要があろう。
日比谷公会堂で社会党の浅沼委員長が右翼の少年に刺殺されたのも一九六〇年であった。政治の季節の最終幕の惨劇であった。