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「800字文学館」

五人打ち麻雀

大森 海太

 五人打ち麻雀をご存知だろうか? 麻雀は本来四人で戦うゲームだが、たまたま五人になってしまったとき、そのうちの一人は横に座って四人と同じ点棒を持つ(昔は二万七千持ちの三万返しが普通)。そして一回ごとに四人のうちの誰か一人に乗り、乗った人が上がれば同額の点棒をゲットし、振り込めば同額を支払う。たとえば乗った人が親満をツモれば、他の三人から四千点づつもらうし、他の誰かがツモれば、乗った人と同じだけ払う。このようにして半荘が終わると、四人と同じように三万返しで点数を計算する。この場合五人目の人は麻雀の腕が上手である必要はない。それどころか極端に言えば麻雀のルールを知らなくてもかまわない。要するに人を見る目があるか、機を見るに敏であるか、あるいは単に運がいいだけであるか、いずれにせようまくいけば五人の中で一人勝ちということだってあり得るし、失敗すれば一人払いの可能性もある。

 私は麻雀から足を洗って久しいが、今でもこのことを思い出すと、世に言う投資家を想起してしまう。ここで言う投資家とは(偏見を恐れずに言えば)自分自身で働かず、ないしは働く能力もなく、ひたすら勝ち馬に乗ることだけを考えている連中のことである。さらにまたこれに入れ知恵することを稼業とする、投資コンサルタントなる輩もいる。土を耕し、ものつくりに精出し、額に汗して励むことが世のため人のためであるという純朴な考えに立てば、このような投資家とはまっとうな人間ではないということになる。

 もちろん現実の経済のメカニズムのなかで、健全な投資活動は資金や経営資源の適切な配分をもたらし社会を活性化するものであって、資本主義経済の基本をなすものである。また世の中にはジョージ・ソロスはじめ世界を動かすような巨大投資家もおり、いっぽうで我々の年金の原資も効率的な資金運用のお世話になっているのだが、でも五人打ち麻雀のことを思うと、ついひとこと言ってみたくなるのである。

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