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「800字文学館」

オセアン・パスィフィク

志村 良知

 海外赴任から帰国して間もなく、赴任先だったアルザスの子会社と日本のシステムの一部を英語化して統合する作業を行なった。アルザスから女性社員二人を新横浜のオフィスに呼んで1か月余り滞在させ、用語の設定と習熟の仕事をしてもらった。
 作業はゴールデンウィークをまたぐことになっていて、この間どうするかはかなりの問題だったが、結局彼女らの希望もあり、日本にステイさせて適宜楽しんでもらうことにした。
 若い彼女らはすぐ日本に慣れ、英語を話せることもあって休日には自分たちだけで東京や横浜に繰り出すようになった。ゴールデンウィークにはそれほどの密着アテンドは必要無くなっていたが、事前の約束通り彼女らとは顔見知りの家内ともども2日間遊んだ。

 2日目は家に招くとして初日は遠足、行先は混雑覚悟で鎌倉・江の島方面。小町通りの雑踏を掻き分け鶴岡八幡宮へ。嗽手水に身を清め、厳しく指導して二礼二拍手一礼でシステム無事稼働を祈願。まだ聳えていた大銀杏、「あの木は何故ベルトをしているのか」という至極もっともな質問。「しづやしづ」の舞殿では偶然結婚式に遭遇、白無垢の花嫁にうっとり。ざる蕎麦を啜った後、江ノ電に乗って長谷の大仏へ。胎内巡りという祈りの対象の仏様の中に入る衝撃の体験。
 そして日本にもあるぞモン・サン・ミシェル、江の島へ。霞む富士山にカメラを向けていた一人が左手に大きく広がる海のことを「もしかして、この海は太平洋か」と突然の質問。何気なく「そうだ。反対側はアメリカだ」と答えると「わーっ」と叫んで座り込んでしまった。「私は今太平洋の岸にいる、こんな日が来るなんて……」
 アルザスは、北海、大西洋、地中海、いずれの海からも800キロある内陸部。西ヨーロッパで最も海から遠い所。ましてや太平洋なんて地図で見るだけ、月面か火星のようなもの。その想定外の海が目の前にあることに突然気づいたのだから泣かんばかりになるのは当然であった。

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