作品の閲覧

「800字文学館」

港北ニュータウン礼賛

池田 隆

 小春日和に誘われ、早淵川の遊歩道へ出掛けた。港北ニュータウンの丘陵地帯を南北に分ける鶴見川の支流である。横浜市営地下鉄と交差する付近は駅前の大規模商業施設で賑わっているが、やや離れると両岸は花や果実の農園に挟まれる。左右の丘陵は樹木に覆われ、緑豊かな邸宅街と素敵なマンションが散在する。道で出会う人々の顔も長閑で幸せそうだ。
 このニュータウンの宅地造成は三十数年前に始まったが、その頃から長年の間、車通勤の途上で工事の進捗状況を横から眺めていた。休日には大学進学前の息子と自転車で工事現場の探索に出掛けたこともあった。
 港北ニュータウンは昭和四十年代の高度成長期に都会の人口増加対策として計画された。対象面積は千代田区の二倍以上の広さで、二十二万の人口を目標とした。東京都心や横浜港に比較的近いにもかかわらず、計画時点では面積の半分以上を山林原野が占め、残りの大半も農耕地で、人口は一万人にも満たなかった。
 その規模は多摩や千里、千葉のニュータウンに匹敵し、開発構想のなかで「自然林の活用」、「緑道網と専用歩道による車歩完全分離」、「広大な農業専用地区」、「電線地中化」、「換地による区画整理事業」などの新機軸を打ち出した。
 しかし計画発表から着工までに長期間を費やし、着工後も進捗は鈍く、一時は中断も囁かれた。やがて宅地造成が完了し、地下鉄や幹線道路網が開通したが、世は低成長期に入り、都心再開発の動向に宅地はなかなか埋まらなかった。人口が当初目標に達したのは数年前のことである。
 現時点では自然エネルギーの活用不足や昼夜人口の大きな差に不満を感じるが、二十世紀後半に社会が夢に描いた「自然の緑を生かした居住環境」や「歩行者と自動車が調和する街」を確かに実現している。個人的にも往時の親子サイクリング探索が刺激になったのか、息子は都市計画の分野に進み、生涯の仕事としている。親としても感慨深いニュータウンである。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧