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「800字文学館」

いつかその日はやってくる

浜田 道雄

 丹沢山麓のI市に住んで十年あまりになる。むかしからの集落が山間の農地のなかに散在する田園都市だ。そのためか、集落ごとに緊急連絡用の放送設備を取り付けた鉄塔があって、そこから市役所の連絡や防災放送が、普段は静かな集落のなかを、大音響で走り抜ける。
 その放送で、結構あるのが「本日○○時頃某所の△△さん(七八歳)が××付近で行方不明になりました。お心当たりの方はI警察署までご連絡ください。」という徘徊老人の捜索願だ。でも、大概は大事には至らない。あくる朝には「△△さんは無事発見されました」とくる。
 日ごろはこの放送を「老人が増えて、警察もご苦労なこった」とあきれながら聞いていたが、徘徊老人の年齢が年々下がっている。  そして先日、とうとうその徘徊老人の年齢がわたしの歳と同じになった。いずれその日がくると予期していたとはいえ、我が身も徘徊しかねない年齢になったと知って、心安らかではいられない。

 わが家の周りの住人もいつの間にか高齢化している。滅多に車の通らない前の道に介護施設の車がよく入って来るようになった。両隣のおじいさんと右筋向かいのおばあさんはみな介護施設に入っていて、おばあさんの方は週末に車で戻って来るし、反対の筋向かいでも、おばあさんがデイケアサービスを受けているからだ。

 わたしが徘徊したり、介護を受けたりする日がいますぐ来るとは思っていない。しかし、いつかその日はやってくる。備えはしておかなければならないと思うが、さてなにをすべきか見当がつかない。先日、たったひとつだけ思いついて、携帯電話をGPSの探索機能付きに変えた。徘徊していても、すぐに見つけ出してもらえるだろうというわけだ。

 ところで、老齢化が進むわが家の周りにも最近明るい話題ができた。すこし奥に若い夫婦が三人の子供を連れて移り住んできたのだ。おかげで、ここにも防災放送だけでなく、元気に遊ぶ子供の明るい声が響くようになった。幸いというべきか。

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