地雷とのたたかい
新型コロナウィルス感染症による閉じ込めで、断捨離に励んでいたら、1枚の懐かしい写真が出てきた。山梨日立建機の社長雨宮清氏だ。
日立建機に一時期関係していたとき、雨宮氏の話は聞いていた。氏は内戦の終結したカンボジアに復興需要があると期待し、建設機械を売り込もうとカンボジアを訪れた。そこで氏が目にしたのは、地雷で苦しむカンボジア人たちの姿だった。帰国後、対人地雷除去機開発プロジェクトを立ち上げた。建設機械のエクスキャベーター(掘削機)の先端にロータリー式カッターを付けて、地雷を次々と爆破させて処理してゆく機械である。この機械の優れているのは、アタッチメントを変えれば、農地開拓の機械としても働くことである。
雨宮氏に直接会って、開発の苦労話を聞こうと思った。山梨日立建機は甲府盆地の西、風光明媚な南アルプス市に本社がある。年齢は丁度私と同じ、会うと意外に大柄で、親しげに歩み寄り、丁寧に挨拶された。「机上の説明は要らないから、外の実機を見ながら説明しよう」と直ぐ外に出た。日立建機の製品は、タキシーイエローという独特のオレンジ色だが、地雷除去機は真っ白に塗られ何機か並んでいる。氏が地雷除去機の開発を始めたきっかけ、開発途中の苦労、近くで地雷が爆発し、右耳が聞こえなくなったことなど、次々と話してくれた。「運転席に乗りますか?」。「良いんですか?」。「どうぞ」。運転席に座ると思いのほか高く、子供のように胸躍る。そして、氏は地雷除去機が今や日本のODAでも推奨され、国連などを通じてカンボジアだけでなく、南米など世界中に広まっていることを嬉しそうに話した。
「ほうとうでも食べましょうか」と雨宮氏は優しく誘ってくれた。こんな大仕事をやりとげるのだから、さぞかしこわもての男だろうと思っていたが、物静かな優しい男だった。「生きているうちに、人々の役に立ちたかった」。氏はポツリと言った。