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「800字文学館」

コロナの後に遺すものは?

清水 勝

 何とかコロナウイルスが終息の方向に向かっており、油断は出来ぬものの一安心。
 さて、コロナ後の日本に遺るものは何なのだろうか。

 女性天皇が二代続いた後の聖武天皇の御代、737年に疫病(天然痘)が全国的に大流行した。死者は100万人~150万人(総人口の25%~35%)と推定されている。
 その中に時の権力者であった藤原四兄弟も相次いで死去した。巷では彼らと対立して自死に追い込まれた(「長尾王の変」729年)長尾王の祟りだと噂されていた。
 聖武天皇は平城京の邪気を払うため、宮中で700人の僧侶による読経を行った。また、庶民間では天然痘の終息を願う呪符木簡を捧げた。当時としては神仏にすがるしか方法はなかったのだが、国として放置するわけにもいかず太政官符が発令され、生魚を食べてはいけない等の一般的な注意を指示するのが精一杯であった。
 天然痘は一年程度で終息したが、その後も干ばつによる飢餓や自然災害、さらには藤原広嗣の乱(740年)があり、聖武天皇は世の安寧を願い、国ごとに国分寺、国分尼寺の建立の詔(みことのり)を出し(741年)、さらに743年には盧舎那仏(るしゃなぶつ)(奈良の大仏)造立の詔も出した。
 この間、聖武天皇は平城京を恐れ、恭仁宮(くにのみや)(京都・相楽)、紫香楽宮(しがらきのみや)(信楽市)、難波宮(大阪市)と遷都したものの、五年後の745年には平城京に戻っている。
 そして待ちに待った大仏開眼供養の壮大な儀式が行われ(752年)、大仏は左手で宇宙の智慧を、右手で慈悲をあらわしながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願う姿を現した。
 その四年後の756年に聖武天皇は崩御されたが、その遺愛の品650点余りが東大寺に奉献され、正倉院の宝物となっている。
 こうして、政変・干ばつ・凶作・大地震(天平地震745年)・天然痘の大流行などが相次ぎ、惨憺たる時代であったにも拘らず、天平文化の礎を築き、仏教文化の華を開かせた時代だともされている。

 コロナ後にどのような令和文化が築かれるのか、楽しみにしたい。

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