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「800字文学館」

桑の実

池松 孝子

 先日、孫に付き合って社会科の学習で「地図記号」なるものを見た。じっくり見ると、あるわあるわでこんな記号、今の地図に必要なのと思うものも多い。また、生活の変化とともに追加した方がいいのではと思うものもあった。
 改めて面白いと思ったのが「老人ホーム」である。三角屋根の家の中に杖が書いてある。実にわかりやすい。今は使われないだろうと思うものに「古戦場」があった。日本刀を二本交差させてある。
 そんな中に懐かしい記号があった。「桑畑」である。桑の実を図案化したもので、Yの下に|が引いてある。今の生活で桑畑を目にしたことのある小学生はそんなにいないだろう。しかし、戦前の日本は生糸の輸出が盛んで蚕の餌の桑畑はどこにでも見られた。
 岡山の田舎で過ごした小学校低学年の頃、クラスメートの家に遊びに行った。玄関を入ると、どこからか「バリバリ」と妙な音が聞こえる。不思議な音だった。それは二階の方からだった。二階に上がってみると、その音に合わせて一面に敷かれた桑の葉が動く。音は蚕の凄まじい「食欲の音」であった。
 勧められて、手のひらに載せた蚕は「ぶよぶよ」で、あの生温かい感触は今でもはっきり思い出せる。
 その時、友達のおばあちゃんが面白いことを話してくれた。それは「お蚕さまは、偏食の最たる虫」というものであった。子供心に妙に納得した。今なら、パンダもそうだ。
 ある日の下校時、一緒に帰っていた友人の一人が、見えなくなった。道沿いにあった桑畑に姿を消したのだ。数分後、姿を現した友人の口は真っ黒だった。それを見るや、みんなで一目散に桑畑に走り込んだ。ちょうど子供の背丈に伸びた桑の木の黒褐色に熟した桑の実をみんなでむさぼった。そして、お互いの口を指して「お歯黒、お歯黒」と囃した。
 甘酸っぱい味に満足すると、ランドセルを背負ってとろとろ家路につくのだった。

桑の実を摘み越し証指の先     稲畑汀子

 まさにこの句が言い得て妙で、懐かしい。

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