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「800字文学館」

タタールの軛(くびき)

大森 海太

 今春、早稲田の公開講座で財務省OB、K氏の講義を受ける機会を得た。この人は国際金融が専門で、退官後は早稲田大学の教授も務めた。在任中はとくに中央アジア諸国との関係が深く、ソ連邦崩壊後のカザフサタンなど五ヶ国や、アゼルバイジャンなど南コーカサス三ヶ国について、いろいろと興味深い話を聞くことが出来た。その内容については割愛するとして、ひとつだけ彼がなにかの折に漏らされた言葉が面白かった。

「皆さん、レーニンの顔を思い起こしてください。とても純粋スラブ系白色人種には見えませんよね。今のロシア人の過半数は多かれ少なかれ、タタールの軛(一三世紀からのモンゴル支配)以来のモンゴル人や、その他中央アジアの諸民族の血が混じっているのです。そう言ってみればプーチンの顔だって、わかりませんねえ」
 なるほど。ロシアに行ったことがないのでよく知らないものの、テレビで見るシベリアや極東地域の人々は、目の覚めるような金髪美人がいるかと思えば、我々の親戚みたいな顔の人もいる。

 その昔ウラジミル大公国のはずれの田舎町であったモスクワは、当時モンゴル帝国に服属しつつ、この地方の徴税権を任されて大公の地位を手に入れた。その後モスクワ大公国は力を増して、十五世紀末には一時モンゴル軍を破ったので、ロシア史観ではこのときを以てタタールの軛から脱したとされる。もっともその後しばらくモンゴルへの貢納は続いたようだ。
 十六世紀、イワン四世(雷帝)の治世にモンゴル系諸汗国を倒してようやく覇権が確立し、ウラル山脈以東への進出も始まった。因みに雷帝の母はモンゴルの武将の家系であった。その後ロマノフ朝の時代になり、本格的な東進によってオホーツク海に至り、また清朝と国境が争ったりする中で、それら地域の各民族との混血が進んだ。
 ロシア革命を経て成立したソ連邦は七十年足らずで崩壊し今日にいたる一方、K氏の言われるようにタタールの痕跡は今なお色濃く残っている。

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