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「800字文学館」

ケルト文様

池田 隆

 山荘の近くを散歩中、ご自宅の庭で草取りをしている老婦人より声を掛けられた。
「幾何学を教えてくれませんか」
 これまでも軽い面識はあったが、突然の質問に驚く。話を質すと、ケルト文様を長年描いておられるが、その描き方にご自分なりの法則らしきものを見出されたという。だがご自身は数学が苦手なので、それを証明して欲しいとのこと。私が元技術者だったことを何方かから聞かれたようだ。
 理系の沽券にかけても断れまい。また改めて詳しく伺うことを約して離れた。だが少しは予備知識を仕入れておこう。ケルトといっても『ガリア戦記』を思い浮かべ、シーザーによって大陸から追われた今のアイルランド人の祖先、といった程度の知識しか持ち合わせない。
 インターネットや書籍で調べると、数千年前からヨーロッパ大陸の各地に住んでいた民族で、高い文明を持っていたようだ。しかし日本の縄文人と同じく、文字を持っていなかったので、その詳細は今に伝わっていないとのこと。
 ただ彼らが残した図形、ケルト文様は素晴らしいデザインとして今なお随所で用いられている。組み紐や唐草模様のような図案、人や動物をシンボリックに表した図など様々だが、規則性と反復性が大きな特徴のようだ。縄文期の火焔土器と同じく万物の誕生・成長・消滅と深く関わる渦巻模様も多用されている。
 描かれたケルト文様を分析して、黄金分割比のような法則を見つけることは出来るかも知れないが、彼女のように実際に描く人が抱いた疑問、例えばいかなる条件ならば一筆書きで描けるかといった問題はさらに難しそうだ。どこまでご希望に添えられるかな。
 それにも増して大きな心配事が出てきた。ケルト文様を見つめていると、金剛界曼荼羅を連想する深い精神性を感じる。安直有効な伝達手段である文字を知らなかったことが、却って頭脳の総合的な力を高めたのであろう。現代の進んだ情報技術ITは我々の思考力低下を促進させているのでは。

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