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「800字文学館」

姥捨伝説(「何でも読もう会」余滴)

斉藤 征雄

「何でも読もう会」で村田喜代子の『蕨野行』が取り上げられた。姥捨伝説を素材にした小説なので、同種の深沢七郎の『楢山節考』とあわせて読んだ。

 『蕨野行』は、特殊な方言混じりの言葉で交換手紙風に進められる物語であるが、ユニークな文体で読者を異次元の世界へ無理なく誘い込んでいく。『遠野物語』が下敷きというが、こんなふうな小説を構想できる作者はただならぬ人なのだろう。
 一方の『楢山節考』の話はいかにも重い。人間如何に死ぬか(つまり如何に生きるか)ということについて、極めて淡々と実際の生きざまを示すなかで、語りかけてくる。

 二つの小説の共通点は、主人公(いずれも老婆)がみずから進んで捨てられようとすることである。「口減らし」のために死に追いやられる自分の境遇を受け入れ、そして息子や家族もやむなくそれを肯定する。死に対する恐怖を語るでもなく、暗さもない。あたかも、仏教でいう無常の諦念と悟りを実際の生き方で表現しているようだ。
 二つとも、不思議な明るさをもっているが、明るさの奥に潜む凄絶さにたじたじとなる。それが日本的美意識なのだろうか。能に『姥捨』という秘曲があるが、捨てられて死んだ老女が姥捨山そのものになって月の光に照らされて舞う。その美と共通したものがあるような気がした。

 姥捨伝説は各地に伝わるが、棄老が現実に行われたかどうかを疑う説もある。その証拠に伝説の話は、親孝行の息子が実際には親を捨てられずに秘かにかくまう。そして難題に遭遇した息子が年寄りの知恵によって問題を解決するという話になっているものが多い。親を死に追いやるのではなく、葛藤の末に子も親も助かるという筋書きになっているのである。
 姥捨ての話が『遠野物語』や古くは『今昔物語』などに出てくるのはわかるとしても、驚いたのは『枕草子』にも出てくることである。
 貧困の末、棄老せざるを得ない悲しい物語は、千年の昔から身近で深刻な社会問題だったのであろう。

【『枕草紙』二二九段蟻通明神の縁起(老いた両親の知恵で子が出世、親は明神になった話)】

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