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「800字文学館」

天才の条件

首藤 静夫

 稲垣足穂は不思議な作家だ。20歳の頃に書いた『一千一秒物語』が彼の代表作であるらしい。それをパラパラめくる。数行か十数行で一つの話が終わる。前後の話はつながりがない。
 物語は奇想天外だ。主人公(人間)が月、星、ほうき星などと毎回、他愛のないバトルを繰り広げる。脇役は兵隊、ピストル、消防、煙草など。月や星が三角形になったり、平べったくなったり、木にかかったり、ポケットに入ったり。「トムとジェリー」のどたばたアニメ映画を見るようだ。全体の筋はないし、初めも終りもない。どうにもならないのでざっと読んで匙を投げた。
 ある日、初夏の池で釣りの最中、忘れていたこの作品の断片が浮かんできた。その残像を弄んでいるうちに思い至った、「そうか、筋を追ってはいけない。考えるよりは何かを直感で捉えるべきだ、これはある種の詩だ」
 彼の作品には、日本文学に特有の湿っぽさや道徳的要素がまるでない。映画のワンシーンを連続して見るようでスパッと鮮やかだ。それを感じ取るべきだった。
 僕らの読書はいつの間にか感性を置き去りにして、理性や知性という名の常識や理屈に囚われている。絵でも音楽でも同じことで、既成の観念が強すぎるのかも知れない。
 武満徹を初めて聴いたときに、その不思議な音楽に違和感を覚えた。だが、聞き慣れてくると今までのクラシックが古くさく感じられてきた。同じ現象が足穂の作品にも漂っている。

 ところで足穂といい、武満といい、彼らは宇宙や天体に執着している。武満の曲はさながら宇宙空間に漂う無機質の音響のようだ。あるいは原始の森の響きであろうか。同じ事は宮沢賢治や谷川俊太郎の作品にも感じられる。手塚治虫も宇宙が大好きだ。横尾忠則は、自分は宇宙人によって脳内に着信器を埋め込まれ、その指示に従って絵を描いていると述べている、まさかと思うのだが……。
 もしかして、ここに登場した天才たちは皆宇宙人の系統なのだろうか。

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