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「800字文学館」

名医

内藤 真理子

 会合に行こうと駅前まできたら、青信号が赤に変わる点滅をしている。習性で思わず走ったら、渡り終わった所で左膝に激痛が走った。近頃、動き始めに痛む場所だが動けないほど痛いのは初めてだ。
 そのうち治まるだろうと高を括って会合に行ったら、座っている間は良かったが、帰ろうと立ち上がると一歩がなかなか出ない。それでもバス、電車を乗り継いで帰路に着いた。タクシーで帰ろうなどという発想が出ないのが主婦の悲しさ。いつもの道を何倍もの長さに感じながら、行きつけの医者の顔を思い浮かべて歩いた。彼はどんな時でも優しく力になってくれる。
 翌朝行ったら案の定、
「大丈夫ですよ、すぐに痛みを取ってあげますよ」と、原因を調べ施術をし、次の日にはほぼ痛みがなくなっていた。だから私は、先生の優しい言葉を聞いただけで、いつも八割方病気が治ってしまう。

 以前、腎臓を患って余命三ヶ月と言われた母が、娘の所で療養したいと我が家にやって来た。件の医院はマンションの二Fで、エレベーター無しの外階段。医者に頼み込んで往診をしてもらうことにした。
 医者は最初に
「お母様は九十六才です。体力もないので人工透析はしない方がいいです。私はいつでも来てあげますから、あなたは、ただ見守ってあげなさい。異変があっても決して救急車など呼んではいけません。そして亡くなった時にはすぐに、たとえ真夜中でも私を呼んでください」と言った。
 母は、三か月ではなく三年間生きた。先生は、週に一度、一人で昼休みにふらりと来て診察をし続けてくれた。そして亡くなった午前四時に死亡を確認してくれた。先生のあまりにも自然な佇まいに、母も私も病気を意識せずに過ごすことが出来たのだと思う。

 今年も健康診断を受けた。結果を聞きに行くと、
「大丈夫ですよ、お薬をちゃんと飲んで下さるので心配はありません。栄養もきちんと取れていますよ」
 晴れ晴れとした気持ちで家に帰り診断結果を良く見ると赤の〝?〟がついている。エッ! 肥満!

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