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「800字文学館」

ワラビ野の人たち

大月 和彦

 ある読書会で村田喜代子の『蕨野行』を取り上げた。平均寿命を少し超えたわが身に改めて「老病死」問題を突きつけてくれた。

 東北地方の山間の村に、60歳になった老人は村はずれのワラビ野の小屋に移り住むという約定があった。移り住んだ老人は、天気のいい日は村里に下りて畑仕事などを手伝いその日の糧を得る。村人とは口がきけない、自分たちで田畑を作ることは許されないなどきびしいきまりだった。村の食料が乏しくなると、ワラビ野の糧は断たれ、体の弱い者から朽ち果てていく。

 ワラビ野の様子が、村の庄屋の嫁と姑との問語りで描かれている。

 ある早朝、嫁が姑をワラビ野へ連れて行き、置き去って帰る。孫たちはババがいないと泣き喚く。小屋近くの藪の中に白いものを見つける。ここで朽ちた人の足。男たちは鳥を捕って食べて飢えをしのいだ。寝たきりのあるババは、あるジジに世話をさせる。ジジも満更でなさそう、静かに息を引きとった。冬、小屋を出て行ったジジは雪に埋もれ死んでいた。

 あるババは、5日間ご飯を断って分かったこととして「細々と食べていればひもじい。思い切って断てばひもじさは断ち切れる、今は安らか」と心境を語り、「来年は豊作、ありがたい」と村人を案じていた。限界状況に生きるワラビ野の人たちには、なぜか絶望や恐怖の感がないように見える。あきらめと悟りの心境なのか。

 貧しい村が生き延びるために形成され棄老の習慣・制度だ。限られた生産力の中で、数年ごとに襲われる凶作・飢饉に耐えて、村を存続させるためには、働けなくなった老人は邪魔者とし、食い扶持を減らすための知恵だった。

 少子高齢化が進み、高齢者を支える仕組みをどう維持するか、福祉社会のあり方が問われる現代の問題に通じている。

 この小説は、『遠野物語』に収載された蓮台野の姥捨て伝説にヒントを得たといわれている。棄老の民間伝承を淡々と簡潔に綴った遠野物語の一話に、血と肉、感情や色彩までも加えたドラマに仕立てている。作家村田喜代子のすごさを思う。

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