おらが国の田舎紳士
かつて都会が従で、田舎が身近だったころ、おらが村の成り上がり紳士の振る舞いをからかって、田舎紳士と呼んだ。しかし、今も田舎紳士が流行り出している。
米国は自国第一、再び強国を叫ぶが、国際秩序の考察が抜けている。今はシェールガス景気が下向きでも、自国で石油を賄えるようになってきて、アマゾンや、フェースブックで世界中から金を巻き上げている。十分最先端分野では強国なのに、どうも、三畳ぐらいある大きなアメ車で、排ガスをまき散らす往年の生活が戻るのが強国のイメージと思っているようだ。確かに戦後、海外に米軍を駐留させ、世界秩序のため米国民が費用負担するのは過重なことだと思うが、現状は戦後の大きな時代の流れの結果であるので、これを変えるのには普遍的原則に基づく国際的に合意が得られる国際秩序の青図が示された後だ。短絡的なトレードの損得勘定に走ると取り返しがつかないことになる。
孫悟空ではあるまいし、かつて筋斗雲の飛んだところは皆私の領域、しかも、そこでは親玉に頭を下げ、楯突くな。香港でも、台湾でも本土に攻め入るとは言ってない。常任理事国らしい理性的な説明の代わりに内政干渉という隠れ蓑を被り武力で脅す。大国の誇りとは文化力であり、それらしき態度を示して欲しい。大国が無理強いし、武力をちらつかせるとは情けない。
核放棄のジェスチャーとして、核施設の一部を破壊すれば、相手は色よい返事で乗ってきますよと、確証のない誘いを持ち掛け、不信感のみ残した。自身の人気取りに反日、反日を煽り理性的な判断ができないようだ。我々は明治期に西欧文明を取りこむため、沢山の新しい概念を漢字で造語して、西欧の思想を消化した。しかし、韓国は元々漢字文化なのに、表音文字だけを採用した。音の正確さを誇っている様だが、もし、我々が漢字を放棄して、仮名文字で意思疎通を図れと言われたら、深い考察はできない。日本の文化活動は総て止まってしまう。