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「800字文学館」

二〇二〇年八月

斉藤 征雄

「もう八月か」
 カレンダーをめくりながら、思わず声に出して呟いた。
 コロナ禍で街に出るのも恐る恐る。老後のささやかな楽しみも自粛の波に翻弄される状態が続いてもう数か月になる。そしてまたぞろここにきて、感染者が急増している。

 周りに感染者がいないので自分もたぶん大丈夫とは思いつつも、不安がよぎる。
 仮に自分や家族が感染したら、おそらく住んでいるマンションでは迷惑視されて、エレベーターはおろか廊下を歩くのさえはばかられるようになるだろう。日本のムラ社会はまだまだ根強く残っているのだ。感染して最も怖いのはこのことかも知れないと思う。
 感染を自覚しても、検査してもらえるかどうかも不安である。かなりの人が窓口で拒否されるという。検査数を増やすべきとの各界の強い意見にもかかわらず、国際的にはあきれるほど日本の検査数は少ない。感染者数の増につながることを危惧しているとも聞く。
 医療関係者のストレスは、われわれの想像を超えるほどだろうと思う。しかしそうした中でも高齢者が感染すれば、ある確率で死を覚悟する必要がある。

 科学技術の進歩によって豊かさを実現したように見える文明社会も、一皮むけば危ういものだということを感じずにはいられない。
 日頃意識せずにいられる死が、すぐ隣にあるということを自覚させられるなかで、国や社会のリーダーシップが働かない。それは国民の意思とは無関係に、戦争の限界状況に雪崩を打つのに似た不条理の世界だ。

 無聊を慰めるために「こんな時には、他力をたのもう」とばかり、『観無量寿経』を開いてみた。極楽浄土を思い浮かべて、そこへ往生するための指南書である。
 はじめに、西の空に向かって太陽の没する姿を観想して自力で極楽浄土を思い浮かべなさいとある。しかしだんだん読むと最後は案の定、凡夫はただただ阿弥陀如来の名を称えて仏の力にすがることが肝心ですと書いてあった。

 今日もまた、感染者数がこれまでの最高だったとの発表があった。

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