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「800字文学館」

いつかまた高尾山へ

大津 隆文

 十年以上前、高尾山で八十歳のお年寄りが山歩きを楽しんでいるのに出会った。そして私も今年二月に八十歳、目標にした彼を遂に見習えると思った。ところがコロナ問題で外出自粛となり、コロナ菌のない筈の高尾山の方でも、来山をご遠慮くださいとの事態になった。
 その上家に籠もって温和しく過ごしていたのに、何故か左足に痛みが生じてきた。近所の整形に通ったが一向に良くならない。病院で検査を受けたところ椎間板ヘルニアとの見立てだ。幸い手術を要するほどではないが、痛み止めを服用したりしながら付き合っていくしかなさそうだ。もう高尾山に行けないのか、いやなんとか治していつかまた行ってみせるぞと心が揺れている。

 高尾山というと思い出すのはK君のことだ。随分昔、経済白書を作成する経済企画庁の内国調査課で、銀行から出向してきた彼と一緒になった。〇・一%の変化が上昇か横這いかの評価を巡って甲論乙駁する職場で、彼は泰然としている好漢だった。
 その後はお互い忙しくて会うこともまれだったが、彼が銀行を卒業後著した『わたしの百名山 山と酒と温泉と』(朝日新聞出版)の出版記念パーティで再会した。可憐な山の花の写真も多く、四十年に亘る山歩きの記録は門外漢にも楽しい内容だった。
 忙しい銀行員生活の中で、よく全国北から南まで足を伸ばしたものだと感心した。さらに敬服したのは、彼が山行きに銀行の出張等を一切絡めなかったことだ。なかなか出来ることではない。私も公私の区別は意識していた方だが、それでも出張の前後が休日にかかったりすると、日程の前や後で名所旧跡を訪ねたりしたことを告白する。
 お互い時間に余裕も出てきたので、これから旧交を温めようと思っていた矢先に、突然悲報を受けた。心臓の病に見舞われたが無事退院した彼は、足慣らしに出かけた高尾山で発作に襲われたのだ。百名山の男が高尾山で倒れるとは。葬儀の際の奥様の「本人は本望だったと思います」との言葉が今も耳から消えない。

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