ほおづき
七月に入って間もなくのことだった。帰宅すると、玄関に鉢植えのほおづきが届いていた。
今年はコロナ禍でほおづき市は中止と聞いていた。「最高級 宮崎産ほおづき、浅草ほおづき市御用達最高の品質を期間限定でお届けいたします」との札がついていた。送り主は、古い友人であった。浅草寺に並ぶほおづきも九州からだったのかと思い知った。浅草寺のほおづき市は毎年七月九、十日に開催され六十万にものぼる人出があるという。コロナの影響は市民生活の隅々にまで及んでいることを実感した。
長い取っ手の着いた竹籠に、ほおづきは数本、真っ赤な実をつけている。私の子供の頃は、ほおづきは庭、畑などどこにでも自生しているものであって、こんなに立派に栽培されて売買されているとは、不思議な気がした。
ほおづきは漢字では「鬼灯、鬼燈」とも書く。赤いほおづきの実を死者の霊を導く提灯に見立てて、お盆に先祖が帰ってくるときの目印にと飾る。
ほおづきといって思い浮かぶのはほおづき笛だ。短気な子供には本当に困難な作業だった。ほおづきの実を出して風船状にするもので、十個挑戦しても一個成功することはなかった。簡単に破れてしまう。そこを根気よく実を揉む。柔らかくなったら、実の付け根に爪で穴をあけ、少しずつ汁をだす。中身がごっそり出そうになる。袋の口が裂けそうになる。出てくる芯をつつきながら根気よくほぐし、中を空にする。
出来上がったら、口の中で上手に空気を入れ膨らます。「ブー、ブー」とその音は涼しくも、優しくもない。ただ、ただ、失敗しないようにと無心になれる。
ほおづきに娘三人しづかなり 大江丸
透かしほおづきも作った。これは、ほおづき笛のような技術は要らない。完熟したほおづきを十日位、水に漬けておくだけ。早い話、ほおづきの袋が腐食するのを待つのだ。ブラシで軽くこすると、葉脈だけが網状に残り、中の赤い実が透かして見える。なんとも幻想的なドライフラワーになる。