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「800字文学館」

山崎正和の訃報

斉藤 征雄

 今年8月に山崎正和が亡くなった。評論活動などについてはあまり詳しくは知らないが、二十歳代に発表した戯曲『世阿弥』は何度か読んだ。その中に、次のようなシーンがある。

 足利義満(鹿苑院)が世阿弥に、鳴る筈のない綾を張った鼓を打つように命じる。権力者義満の命令だから、打って鳴らなければ命がない。
 切羽詰まって世阿弥は鼓を打つが、当然世阿弥にも周囲の者にも音は聞こえない。しかし、義満は「いいぞ世阿弥、続けて打て」と褒めたたえる。
 世阿弥が「鳴ってはおりませぬ。どうぞ早うお咎めを」というのに対して義満がいう言葉が次の通りである。
「うつけ者奴。思いあがりも大抵にせい。鳴るも鳴らぬも、その方づれにわかることか。世阿弥の芸などと人はいふが、所詮この鹿苑院の光の影じゃ。どうだ一同、鼓は鳴らなんだか」。
 一同「鳴りました」と応じると、義満は勝ち誇ったように「世阿弥、わかったか」といって哄笑する。

 歴史上、天皇の座に最も近づいた人間ともいわれる権力者義満、世阿弥はその権力者義満の光の影でしかなかった。そればかりか、自ら作った能を演じながら自分は能面の内に閉じこもる、いわば能の影でもあったのだ。
 世阿弥の人生と義満との関係を、そのように捉えてそれをモチーフにした戯曲である。
 世阿弥の人生で影を感じるのは義満との関係ではなく、義持・義教時代だと私は思うが、戯曲は義満を権力の象徴としてとらえているのだろう。山崎正和の、この「光と影」という捉え方に昔から共感を覚えたものだった。

 権力を持たない者が権力者と折り合うのは、その影になるしかない。そして光が消えた時影は消える運命にある。
 芸術家は、スポンサーに対しても、観客に対しても、その存在は光に対する影でしかないということを言おうとしているのであろうか。
 山崎正和は、「柔らかい個人主義」という言葉で、社会と個人の関係をつきつめたことでも知られている。また、一人の人間の死を実感した。

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