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「800字文学館」

小さな親切

稲宮 健一

 戦後少し落ち着き、高度成長が始まる昭和三八年頃、「小さな親切」という言葉がよく新聞を賑わした。戦後の物資が乏しかった頃、お互いに不自由を感じていると、何かと補い合う気持ちがあった。しかし、世の中が落ち着き、都会に人が押し寄せて、われ先にと自分の分を少しでも多く手に入れる雰囲気が出てくると、押しのけて前に出る心情が強くなってくる。そんな風潮に対して「小さな親切」という反省が出てきた。

 何となく人々の間にギスギスした感じが出始めたのは、押し合い圧し合いし始めた通勤電車からではないかと思う。今のように各社の乗り入れがなく、ラッシュ時に乗り込もうした乗客を剥がす役割の駅員がいた頃、他人を気遣う気持ちが薄れ、「小さな親切」運動に繋がった。電車の乗り降りが容易になるように、ドアーの数を三ヶ所から四ヶ所にしたり、ドアーの幅を広げたりした。人の出入りが容易になったが、なかには降りる乗客が残っているのに、隙間を縫って素早く乗り込む子供がいる。それを止めない親はやはり洗練されてない。

 人が触れ合う狭い部屋の出入口で、二人が一緒に通れるが、少し触れ合うかもしれないような時、出る人を先に通し、入る人が一刻待つ、阿吽の呼吸が我々の近くで欠けてないか。米国で生活していたとき、このような場合、入る人は一刻待ち、お互いに「Excuse me」、「Thank you」と破顔一笑があった。

 触れ合いと言えば、小さい頃、なぜ日本は左側通行かと母に聞いたら、お侍さんの鞘当てを避けるためだと教えられた。普通脇差は左腰に差す、左側通行なら行き交うとき、鞘当ては起こさない。争いを起さない生活の知恵だ。

 そして、今では車中ではスマホをにらめっこ、脇に誰が座っていようが、お互いに隣は何をするものぞ、今は人、スマホ、スマホ相手の人間が対話の総てであって、、そばにいる人は他の世界の人のようだ。これでは袖触れ合うのも多少の縁とか、他人からの破顔一笑の心地よさは味わえない。

(二〇二〇・十・八)

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