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「800字文学館」

秋田の小町伝説―菅江真澄の旅日記から

大月 和彦

 平安時代の歌人で、能や浄瑠璃などに取り上げられている小野小町は、生没年が不詳のうえ、経歴や老後の資料が乏しく謎の多い人物とされる。生誕地も秋田県湯沢市、京都山科、越前市、彦根市などとされ定説はない。

 江戸時代の旅行家菅江真澄は、天明年間に越後から出羽に入り、小町の生まれた地とされる雄勝郡小野村((湯沢市小野地区、JR横堀駅付近)一帯の古跡を歩き、小町の伝説を旅日記『小野のふるさと』に書いている。

 真澄はまず、雄勝郡小野郷を訪ねる。大同年間に出羽国郡司に赴任した小野良実が住んだという桐木田には館と堀の跡が残っていた。小町はこの地で良実と土地の女性との間に生まれたとされる。

 小野村の覚厳院という山伏寺を訪ねて住職の話を聞く。三十八代前の住職が良実に付き添って来て以来、この地にとどまっているという。昔、津軽守の家臣が訪ねてきて、梁の上にあった包みを見つけ、開いてみると琴だった。小町姫が弾いたものにちがいないと、買い取っていったという話を聞く。

 良実が建立した熊野神社に詣でる。境内にはかつて「和歌堂」という堂があり、小町の和歌や文などが納めてあったが、文禄年間に最上義光の兵火により焼失したと伝えられている。
 小町が都から帰ってから植えたという芍薬が茂る塚に案内される。土地の人は芍薬の花の盛りを待って田植えを始めるという。
 ある連歌師が芍薬の枝を折って畳紙(たとう)に入れたところ、たちまち大雨に降られたという「雨乞小町」の由来を聞く。
 境内の石碑に「小野小町、大同四年己丑生、昌泰三年庚申年九十二卒行」とあるのを見る。
 雄物川畔で野遊びに興じていると、「はなだ色の布を着た清らかな女が老人に伴われて行く。美しい女だと人びとは見守っていた。小町の里には、昔からよい女が出ると聞いてはいたがこれほどの美人は世にあるまいと、酔って泣きごとをいった」と32才の真澄は書く。

 小町まつりは湯沢市で毎年行われているという。

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