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「800字文学館」

蕎麦の花

池松 孝子

 毎年、十月の末になると、友人から新蕎麦を食して来たとメールが届く。去年は戸隠からだったと記憶している。

 新蕎麦は口に入れたらあまり噛まないこと。さっと飲み込むと何とも言えない香りが鼻に抜けていくから。そんな、自称グルメの講釈を楽しむ季節がやって来た。私はというと、一年中出回っている乾麺のひね蕎麦のブランドや産地を少々気にするくらいで十分だと思っている。そんな私を強引に説得する。新蕎麦には安曇野の山葵をと。

 食欲の秋は新蕎麦の秋でもある。蕎麦の実は、年二回収穫できる。六月から八月にかけて収穫される夏蕎麦と、九月から十一月にかけて収穫される秋蕎麦である。一般に、新蕎麦というのは秋蕎麦のことである。秋の方が収穫量もはるかに多く、味も香りも断然優れているという。

     蕎麦はまだ花でもてなす山路かな       芭蕉

味よし、香りよしの新蕎麦もいいけど、私はどちらかというと蕎麦の花に惹かれる。

 蕎麦は高所で栽培されるものが品質もいいと聞く。長野県山ノ内町では「法印さんとそばの花まつり」が開かれる。北志賀高原の須賀川八丁原に白い蕎麦の花が見事だ。江戸時代までは信州でも屈指の生産を誇っていたという。須賀川蕎麦、おやきなども楽しい。長野県箕輪町、伊那盆地の北部の赤い蕎麦の花を楽しんだこともある。今年はコロナ禍で中止と聞く。

 何度か訪ねた中でお気に入りなのは、裾野市須山の蕎麦畑だ。晴れた日には富士山をバックに雄大な蕎麦畑が楽しめる。前方に白い蕎麦の畑が現れると思わず声をあげてしまう。その頃にはすすきも穂を出し、満開のあざみも見え、秋まっさかり。富士山を見ながらの「あしたか山麓裾野蕎麦」は目にも舌にも言うことなしだ。

 先の友人は北海道出身で、いつか見せたいといってくれるのが幌加内の蕎麦畑だ。現在、日本で生産される蕎麦の半分は北海道だという。その中でも多いのがこの幌加内産だそう。しかし友人の話を聞けば聞くほど幌加内は遠い。

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