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「800字文学館」

晩秋の舞岡公園

稲宮 健一

 家の近くの舞岡公園の入口に咲いていたコスモスは盛りが過ぎ、八十八夜ごろに苗代から田圃に植えられた稲もすっかり刈り取られ、子供達が思い思いに作った案山子がそこここに立っていた。例年なら、勤労感謝の日のイベントで秀作を選んだり、古民家前で餅つきがあったりしたが、今年はコロナで皆中止。

 十年ほど前この住宅地の朝はカラスの合唱で悩まされた。多分、飽食の世になり、食べ残しがカラスを繁殖させ、スズメがカラスに追い払われた。人も知恵を出し、家庭ごみをしっかりした網箱に入れるようになって、兵糧攻めは徐々に効き出し、カラスは少なくなって来た。でも公園に来るとカラスは相変わらずうるさかった。でも、ここ一、二年、公園からカラスが消えた。気長に餌を絶った人の智恵が勝った。
 子供の頃、朝はスズメの「ちゅん、ちゅん」で目が覚めた。今公園にスズメは見渡らない。確か案山子はスズメ追い払うためだった。しかし、スズメなしの案山子は単なるゆるキャラ展示になった。片瀬海岸でもお弁当のおかずが鳶にさらわれないように警告が出ている。大きな鳥がはびこるのは飽食の世のためか。

 公園に万歩計を付けてウォーキングに行く。年に一度ぐらい道に一メートル程の蛇に出っくわすことがあった。アスファルトの歩道に出てくるのは何かの偶然で、見ているうちくねくねと動きながら藪の中に消えていった。野ねずみでも追っているのか。

 この地の周りはすべて住宅地で、かつてのなだらかな畑や雑木林だったところが、日比谷公園より少し広い区域が公園として残され、市民の憩いの場になった。お弁当を持って半日すごすこともできる。舞岡という地名は古くから由緒のある地名で、かつてこの近辺は鎌倉中期に鎌倉郷と呼ばれていた。そのころ空に源氏の白旗が舞ったので、これは吉事だとそれ以降この地を舞岡と呼ばれるようになったとのこと。ここは横浜の地下鉄「舞岡」駅から徒歩三十分のところにある。

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