作品の閲覧

「800字文学館」

当世海外古典翻訳事情

長谷川 修

 新世紀に入った頃から海外古典の新訳が静かなブームだ。2006年に創刊された光文社古典新訳文庫のキャッチコピーに「いま、息をしている言葉で」とあった様に、新訳はこれまでの翻訳に比べ平易な言葉を使い読み易くなっている。筆者が手にした長編大小説の新訳、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(亀山郁夫訳、光文社)、ゲーテ「ファウスト」(柴田翔訳、講談社)、プルースト「失われた時を求めて」(吉川一義訳、岩波)を見てみよう。
 亀山訳の「カラ兄弟」は読む者のリズムを崩さないようにと訳注は一切なく、原文の長い文章は分割し改行は多くとる。更に画期的なのは人名と呼称で、ロシア人の正式名は名前・父称・姓の3つからなるが原則として名前のみに統一し、呼称も親愛度に応じて細かく変化するところを1つにする。
 柴田訳の「ファウスト」では、比較的易しい第Ⅰ部には訳注を付けていないが、ギリシャ神話からの引用が多い第Ⅱ部では巻末に短い注釈を付ける。また、原文は劇詩であり韻文が多くを占めるが、訳文はリズムとイメージを考慮した清新な日本語となっている。
 吉川訳の「失われた時」は前2者と異なり訳注は見開き左ページの脚注で詳述し、原作者が観た名画や建造物の写真も多く挟み、巻末には場面の展開を表わす索引が付く。文体についてはプルーストの文章の特色を生かすために長い文章を分割することは極力抑え、イメージの展開に合わせ原文の語順に従って日本語が出てくるような工夫もしている。
 このように翻訳の方針は3者3様であるが、3者に共通するのは敬愛する作家の大長編を日本の読者に最後まで読んでほしいとの熱い思いだ。また翻訳とはヨコのものをタテにするだけでなく、原文を読み込み日本語として相応しい文体を考え最適な語句を選ぶ創作行為だと言えよう。
 世界の名作を色々と新しい訳で読めることは、各自が感性に合うものを選び楽しめることであり、良い時代になったなと思う。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧