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「800字文学館」

法事にお赤飯

木村 敏美

 その方の作られたお赤飯とかしわご飯を最初に頂いたのは,二十年以上前になる。
 かしわご飯とは福岡の郷土料理で、鶏肉と椎茸や野菜を細かく切って作る炊き込みご飯のことだ。
 その方と遠戚となって以来、法事や行事等で時々会う事があったが、その方は二品の手料理をよく持参された。いつも変わらない味で本当に美味しく、食べると何故かホッとして心が落ち着く。
 私は食べるのが大好きだが、グルメではないので一流の味は判らないけれど、彼女の味は何処かそういうものを超え、美味しさから温かさが滲み出てくるように感じた。
 又、会って話していると、人柄も料理その物の様に人を和ませるものがある。
 明るくゆっくりした話し方、その声その眼差しは、周囲をいつの間にかすっぽりと優しく包み込んでしまうのだ。

 一般的にお赤飯はお祝いの時に作るが、彼女は法事の時にも必ず作るという。
 ずっと後になって、ある事実を人伝に聞き納得した。
 それは亡くなられた御主人の大好物だったからだそうだ。何かある度に作られずにはいられない御主人への思いが詰まっている味なのだ。
 若くして夫を亡くし、和服を仕立てて生計をたて、女手一つで忘れ形見の娘さんを立派に育てられた。苦労も多かっただろうに、御主人への愛を心に秘め生き抜かれたのだろう。

 私事になるが、母の得意料理は巻き寿司だった。父亡き後、母は親戚の法事や行事の時巻き寿司作りを頼まれ、お裾分けの寿司の端で味を覚えた。特に作り方を教えてもらった訳ではないし、父の好物だったかどうかも知らないが、いつしか子供や孫の運動会には巻き寿司を作るようになっていた。母は巻き寿司の命は干瓢だと言っていたので、干瓢にはこだわって母の味を心掛けた。

 ある時小学校の高学年になった孫が、干瓢だけの巻き寿司が食べたいと言った事があり、今も時々作っている。母の思いが曾孫に伝わったのだろうか。
 手料理の味は、人生そのものの味と言えるかもしれない。

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