飲みにケーションからの脱皮
いつの時代になっても、どんな組織であってもコミュニケーションが必要であることは言を俟たない。私は専ら飲みにケーションでサラリーマン生活を過ごしてきた。当時はそれが当たり前の時代だったとはいえ、大きな忘れ物をした思いが湧く。
一つは、家内や子供たちと時間を共にすることがあまりにも少なかった。なぜ子供ともっと遊ばなかったのか。なぜ本をもっと読んでやらなかったのか。今頃になって心が痛む。
もう一つは、本を読む時間が少なかった。司馬遼太郎は通勤の電車で読み、藤沢周平は出張の時に読んでいた。仕事のためにマーケティングや経営学についても学ぶべきであった。後輩にも勉強しろと言うべきだったと思う。
また、私の飲みにケーションは、職場の上と下、縦の人間集団の中でだった。三菱ケミカルの中田るみ子人事部担当常務の言わんとするところは、現在身を置く組織内でのコミュニケーションだけではない。自分とは違う仕事の人、違う発想の人との接触により自分の幅を広げ高めるためでもあるようだ。新事業などを立ち上げる時に、企業内公募を行うというのも異なる人同士での活性化を図ろうというのであろう。
文藝春秋十二月号で、DeNAの創業者である南場智子会長が同じようなことを言っている。日本経済の活性化に必要なものの一つは「人材の流動化」である。経済を牽引する大企業は、流動化ができていないためダイバーシティ(多様性)が全く欠けている。ダイバーシティの本質は、異質な才能を取り込み、組織のパフォーマンスを最大化することにある。予期せぬ事態に次々直面する現代という時代に対応するためにはダイバーシティが必要不可欠であると強調する。
今からは、異なる発想、才能との火花散るコミュニケーション、そして融合のコミュニケーションが重要であろう。働き方改革、コロナ禍により飲みにケーションは姿を消そう。残るは個人のコミュニケーション能力の向上しかあるまい。