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「800字文学館」

「蘭奢待(らんじゃたい)」って?

清水 勝

 12月20日に放映された大河ドラマ『麒麟がくる』は見応えがあった。足利義昭が頼りにする武田信玄が急死し、後ろ盾を失った朝倉・浅井を信長が一気に攻め滅ぼす。実質的に天下人なった信長が次に求めたのは、権力者のステータスとされる「蘭奢待(らんじゃたい)」の切り取りであった。東大寺は比叡山のような焼討ちを恐れ、「蘭奢待」を信長に差し出した。
 この「蘭奢待」とは何なのか。東南アジアで産出される高級香木で、天下第一の名香と謂われる。正倉院宝物目録では黄熟香(おうじゅくこう)とあり、我が国に現存する最古の香材で、現在では奈良国立博物館の常温常湿の耐火金庫にある。
 その由来は、聖武天皇の崩御後に東大寺に奉献された説(750年)や、推古天皇の代(595年)の渡来説、弘法大師が中国から持ち帰った説(806年)等がある。
「蘭奢待」と名付けられたのは、良い香りを意味する「蘭麝(らんじゃ)」から、それぞれの字に東・大・寺の入る字を当てたという。
「蘭奢待」には切り取った跡が複数あり、右側に足利義政、その隣に織田信長、左側に明治天皇が切り取っており、それぞれ付箋が付けられている。全体で38ヵ所の跡があり、足利義満、足利義教らが考えられる。また歴代の天皇の中には病魔や怪物退治に活躍した人物に褒美として切り取ったという伝承もある。権力者以外では、日本への移送時の役人や東大寺の関係者が切り取った可能性もある。
 信長が「蘭奢待」を切り取った狙いは、足利家の終焉を知らしめるとともに、正親町(おおぎまち)天皇を威圧し、さらには天皇を超える神になろうとしていたからとも考えられる。
 なお、徳川家康は「蘭奢待」の現物を見たものの、切り取った後の信長の不幸を鑑みて切り取らなかった(『当代記』)。
 明治天皇は明治10年、奈良御幸の際に正倉院を訪れて「蘭奢待」を切り取り、その一片を焚いたという。「薫烟芳芬(くんえんほうふん)」だったとあり(『明治天皇紀 第四』)、一千年前と変わらぬ良い香りだったようだ。

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