作品の閲覧

「800字文学館」

日本初のラーメン

大平 忠

 日本のラーメンはいつ生まれたかについて、新発見があったと新聞が報じていた。日本で最初のラーメンは、従来は江戸時代に徳川光圀が食べたとされてきた。ところが、千三百年代の南北朝時代、後醍醐天皇の皇子とされる禅僧の詩に、ラーメンのルーツ「経帯麺」の文言が見つかったという。禅僧の名前は龍泉令淬、(りょうせんりょうずい)この禅僧の漢詩集『松山集(しょうざんしゅう)』に「経帯麺」と題した詩が見つかったという。「経帯麺」とはかん水入りの小麦麺であり、その製法が中国では元代千三百年代の百科辞書に記載されているとか。龍泉令淬は、晩年は福岡・博多の承天寺(じょうてんじ)で過ごした。この界隈には、宋の貿易商人が多く住み、承天寺も貿易商人や禅僧交流の場であったから、「経帯麺」が食された可能性が高いと分析されている。

 この承天寺は、また博多うどん発祥の場所ともされている。商人たちは忙しいので、早く食べられる柔らかいうどんを珍重した結果、現在のコシのない博多うどんが生まれた。

 現在、博多ラーメンは豚骨ラーメンとして知られるが、これはどうも昭和十年代に入って生まれ、戦後になって定着したらしい。禅僧・龍泉令淬は豚骨ラーメンを知らなかったのである。私は五十数年前に北九州・黒崎に赴任して、初めて豚骨ラーメンを食べたときは正直驚いた。食えたものではないと思った。しかし、あっというまに馴染んでしまった。

 アメリカ・オレゴンに住む孫が四年前にやってきたときに、博多の「一風堂」なる豚骨ラーメン屋に連れて行った。ところが病みつきになり、外出となるとバスの中から「お昼はラーメン、一風堂!」と連呼するので、これには参った。その後、孫はニューヨークの「一風堂」にも行ったが博多の方が旨いそうだ。
 今や、「一風堂」は十五カ国に二九〇店舗展開しているとか。博多が日本ラーメン発祥の地であることが分かって、博多ラーメンにまた箔が付き福岡人は大喜びである。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧