随想
枯草のざわめき;「赤坂、思い出を重ねて」
毎週木曜日の夜NHK総合で放映されたタモリの東京探訪「ブラタモリ」は、知的好奇心を刺激する見応えのある番組だった。
古地図を片手にタモリが東京の街をブラ歩きしながら、ちょっとした痕跡や不思議な地形を見つけると、想像力をめぐらせて往時を辿り、時空を超えて隠された昔の姿を再現する。東京は太古から何層も重ねて人が住んできた町であることが、身近なところから解き明かされて興味尽きない。
この番組はこの3月で全15回が終ったが、最終回の一つ前は赤坂界隈のブラタモリだった。〈もてなしの町〉をテーマに、まず国の賓客を接待するための施設、「迎賓館赤坂離宮」を訪れる。わが国唯一のネオ・バロック様式の洋風宮殿、旧赤坂離宮を改装した建物と庭園はさすがに壮麗で、初めてその中に足を入れたタモリはいつになく緊張し、世界のVIPの気分を味わって痛く感激していた。いつも外柵と門の外から眺めるだけだったという。
ところが私は、何度も旧赤坂離宮の中に入ったことがある。今は昔の昭和30年頃、ここは誰でも入れる国会図書館として使われていて、受験生だった私は閲覧室を自習室代わりによく利用していたのだ。
その頃私が住んでいた赤坂見附付近から、弁慶堀を右に見て外堀通りを四谷に向い、紀伊国坂を上れば、歩いて20分ほどでそこに行けた。図書館の座席は百数十あって狭くはなかったが、学生の利用者が多く休日はすぐ満席になる。席を確保するために朝早く家を出て、玄関先のスロープに並んで開場を待った。当時は住宅事情が悪くまともな勉強部屋を持っている学生は少なかったのではないか。わが家も狭くて、廊下の突き当たりに机を置いて勉強をしていた。
その頃の旧離宮はどんな様子だったか。大閲覧室は「花鳥の間」だった所で、大きなシャンデリアが印象深かったものの、豪奢であったに違いない広間の装飾はほとんど憶えていない。別に勉強に集中していたわけではなく、友だちとあちこち探検したりしたが、〈花より団子〉の私たちには宮殿建築の華を見る目がなかったからだろう。
大理石の広い廊下がいたずらに長く、住みやすい宮殿とは思われない。冷房はなく、夏は汗を拭き拭きの勉強だった。地下の食堂はお腹空かしの私たちがよく通ったところだ。ただ油臭い厨房のにおいが廊下まで漂い出てきて鼻につくのが難点だった。地下の廊下の天井に数多くの無骨なダクトが走っていて、いかにも舞台裏という感じがしたことを憶えている。こうして若き日の思い出を辿ると、心浅い私は由緒ある宮殿の粗探しばかりしていたようで気が引ける。
それから30年、機会があり、赤坂離宮の手本の一つといわれるフランスのヴェルサイユ宮殿を訪ねた。そこで、案内に導かれて庭園や宮殿内部を見回っているうちに、赤坂離宮で洋風宮殿の雰囲気に浸りながら勉強した学生時代の記憶が忽然として蘇り、憶えのなかった豪奢な装飾まで目に浮かんできた。意識の底に沈んでいた心象が突然呼び覚まされたかのように――。
先人が伝える「たとえそのときは興味を持てなくても、若いうちに見るべきもの見ておくべき」という言葉は本当だと感じ入った。
〈もてなし〉つながりで、迎賓館の後タモリは、今はないナイトクラブ「ニュー・ラテンクォーター」の跡と今も頑張っている高級料亭「金龍」を訪ねる。両方ともわが家の近所だったところでよく知っているが、距離が近いことと出這入りすることは全く別物。私はこうしたところで接待したことも、されたこともない、縁なき衆生であった。
ブラタモリの売り物、街の昔を思い起こさせる痕跡の探索は、今回も快調だった。今は地名だけの溜池は、江戸時代は赤坂見附から虎ノ門まで続く長くて広い巨大な貯水池であったと古地図で説明してから、当時の跡を探すと、堀の石垣の一部を発見。さらに、その延長と思われる石垣の角を〈外堀通り〉の向こう側に見つけたのだ。この場面は、長年そこに住んでいた私にとっても思い出ではなく、興味深い新発見であった。
タモリが東京の坂道に詳しいことは有名で、本も出している。赤坂に赤坂と称する坂はないけれど、名のある坂が数多く、中でも三分坂(さんぷんざか)は昔の風情を残す急な坂として知られている。ブラタモリがそこに向かうのはもっともと思ってテレビを眺めていると、なんと! よく知った友だちの顔が画面に割り込んでくるではないか。小中学校のクラスメイトで、今は三分坂脇の古刹「報土寺」の15代住職を継いでいる朝倉君だ。この寺には、江戸時代に天下無双の関取と名を馳せた「雷電」が葬られており、タモリ一行は朝倉君に案内されて墓参りをした後、雷電ゆかりの品を手にして昔のエピソードを感心しながら聞いていた。
朝倉君には、数年前、ひょんなことで世話になったことがある。対人関係で悩みを抱えていた勤め先の女の人を連れてこの寺を訪ねて、彼の法話を聞き、お経を上げてもらったのだ。彼の声は朗々としていて語る言葉に説得力がある。同行の女性は話し上手なので思ったよりわかりやすく、とても為になったという。
私は、というと、すこぶる付きのいたずらっ子でいつも先生に叱られていた、小学生時代の彼の姿を思い出し、「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という金言を噛みしめ、感心すること頻りだった。そのあまり、申し訳ないが、肝心の法話の内容は聞き落とした。
ヴェルサイユ宮殿で経験したように、何かの切っ掛け、たとえば人との関係でとことん困ったときに、彼のありがたい話が髣髴と思い浮かぶのではないか、と密かに心当てにしているのだが――。