随想
初めてのエッセイ
半世紀以上も前の受験時代に旺文社が主催する自由英作文の懸賞に応募した。賞品としてゲットしたのは、今でも使っているOxford のEnglish Reader's Dictionaryである。二等賞とメモ書きしてあり、証拠として同社からの入賞を伝える「お知らせ」が辞書のカバーの裏に貼ってある。一体どんなエッセイを書いていたのだろうか。現役を退いてから小説やエッセイを綴っている物書きの端くれとしてふと知りたくなった。メモ書きに記してあった雑誌の名前と発行年号を頼りに国会図書館に赴き、すっかりIT化された検索システムなどに戸惑いながらも何とか目的を達成した。当時の雑誌が収められたマイクロフィルムからコピーしたわが人生最初のエッセイと記憶する英文と、筆者が超訳した和文を掲げてみる。
The Youth Companion(Nov 1955)・Concise Composition Contest より:
『 Throwing the door open, his mother called him“My dear, can I sell this toy-car to a rag-man?”she asked, pointing to the car he used to ride in the childhood which was very rusty because it had long been exposed to the rain. “Of course, you can!” he answered carelessly.
However, as her footsteps died out, a kind of affection towards the old car suddenly took hold of him. At the same time, he remembered that his father had always told her not to sell it. Until now, he had thought him only stingy on this matter, but now that it had been taken away, it occurred to him what he advised her had only been an expression of his love towards his child, and that he must have said so because he knew the old toy would surely be a remembrance when he grew up. 』
実は原文は講評者により一部直されている。文法上の誤りというよりは、表現の改善である。企業OBペンクラブの「何でも書こう会」で揉まれて少しだけ修文されたエッセイが「800字文学館」に収められるのに似ている。
自分なりに超訳してみた:
『 ドアを開けて部屋を覗いた母が訊いた。
「ねえ、これだけど、屑屋さんに売っちゃっていいかしら?」
母の横には彼が子供の頃乗っていた三輪車が置かれていた。長い間雨に曝されて錆びだらけだ。
「勿論いいよ」とうっかり答えたが、母の足音が去ると、古い三輪車への愛着が突然湧くように蘇ってきた。同時に、父が母に、それは売らないで残しておくように、といつも言っていたことを思い出した。
これまで彼は、父はけちでそういっていたと思っていたが、それがなくなってしまうという段になって、父の言葉は彼の息子への愛情の表現だったと気がついたのだ。父は、彼が大人になった時、この古い遊び道具が必ずや良い想い出になることを知ってそういったのに違いない。 』
それだけの内容のショート・エッセイで、それこそ今になって読めばなんということはないが、少年から青年に移る頃の情景が懐かしく思い浮かんできた。