芸術・芸能・音楽
十七文字の奥行き
企業OBペンの平尾さんが「十七文字の恋模様」を投稿され川柳のおもしろさを語った。同じ企業OBペンの会員でもあるペン俳句の私も触発されて俳句でも似た面白さを感じることがあるので投稿してみようと思う。
もう十数年前になるがコンピュータ関連の営業をしてた頃、当時東京女子大学国文科教授の水谷静夫先生とお話する機会があった。
先生は以前は国立国語研究所にもおられて特にコンピュータを駆使した計算言語学の分野の開拓者でもあった。お話のなかで印象に残ったものとして二つあった。
一つはコンピュータは国文の人にはなじみづらいのではないか?という私の問いに先生は所詮コンピュータも言語(プログラム)を取り扱うものです。言葉を扱う点においては国文も同格で場合によれば理数系統の人より有利かもしれないということであった。
この回答には文系の私などは目から鱗であった。
二つめは俳句の話題になった。平尾さんの川柳のテンプレイトの中、下句の七五を固定したものとして、その時私はよく落語などに出てくる
「○○○○や 根岸の里の 侘び住まひ」
を引き合いにだした。
先生はこの手法は古くからありその他にも事例をニ、三あげられたのを思い出す。
当時私は俳句には興味があったが特に作句したり句会に属したりしていなかったので中味についてよく記憶していなかった。
ただ俳句のルールや言葉の機能について面白くお話を伺ったと思っている。
古い時代の句と現代の句をくらべればすでにポジションをえている古いものが一見有利におもえるが、それだけにこれから新しい俳句を志す人たちは古典をよく学びそれを下敷きにして俳句をたのしめばよいと思うし、新しい俳句にチャレンジする必要があると思う。
与謝野蕪村の
「菜の花や 月は東に 日は西に」
と言う句がある。
この句は柿本人麻呂の
「東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」
と対比される。
三十一文字の和歌で人麻呂は万物の現象あらわし蕪村は十七文字で360度の世界を表現した。
それでは平成の御世になり私たちはこれをどう詠うのかというと、かなり難しくなると思う。
しかし私はある時俳人安住敦の次の句を見て愕然とした。
「しぐるるや 駅の西口 東口」
昭和の俳人の句として私の好きな俳句の一つになった。
梅雨ももうすぐはじまろうとしている。