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エッセイ・コラム 政治・経済・社会

イギリス総選挙に思う

大平 忠

 イギリスの総選挙の結果、四十三才の首相、副首相が誕生した。十二年前、同じ年で首相になったブレアの話を思い出した。

 ブレアは早くから政治家になろうと希望し、労働党から立候補しようとかねて考えていたという。そのうち、ある選挙区で労働党が次の下院議員の立候補者を公募していることを聞き知った。妻に相談したところ、是非応募したらと賛成し、決着するまで家に帰ってこなくてよいからと言われたとか。ブレアは、早速その選挙区へ乗り込み、立候補者選抜のテストに臨んだ。候補者の選び方は、その地域出身以外でも構わず、細かいプロセスは分からないが、それぞれが抱負識見を述べ合い、人物、政策、弁舌、説得力を総合して誰が相応しいか決めるのだそうである。ブレアは、見事立候補者に選ばれて、帰宅したのは家を出てから二週間後であったという。

 このとき初めて、全部ではないかもしれないが、落下傘候補者でイギリスの議員が決まることを知った。政党として、複数の候補者を比較して、地域利益の代表ではなく、なにより抱負識見を持った人物を選ぶところに感心した。なるほど、イギリスではオックスフォード、ケンブリッジの成績優秀者が政治家を希望するという理由も分かった気がした。

 明治二十二年、明治憲法発布時に、伊藤博文は次のように述べている。「荀くも帝国議会の議員たるものは自己の選挙せられたる一部の臣民を代表して敢えて郷里の利害に跼蹐(きょくせき=恐れはばかる)せずして汎く全国の利害得失を洞察し専ら自己の良心を以て判断するの覚悟なかるべからず」

 残念ながら、現今の国会議員を見ると、県会議員と見紛う者も見られ、選挙する側の意識も、国会議員を往々にして地域、あるいは団体の単なる利益代表と思い込んでいる。

 百二十年前に、伊藤がこうあるべきと考えた「国会議員」、あるいは「智識進んだ人民」に、何時になれば到達するのであろうか、
 次の参議院選挙を控え、各政党は新人の候補者の選定を進めている。聞くところによれば、優秀な人材の物色は当然のこととして、名の売れたタレント、スポーツマンに触手を伸ばす愚を犯しているようだ。我が国の政治のレベルをこれ以上貶めないために、我々有権者はその類の候補者に断固投票したくないと思う。

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