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エッセイ・コラム 日常生活雑感

「遠野物語」刊行100年シンポジウム

田谷 英浩

 新宿区が開催する「遠野物語刊行100年」のシンポジウムを知って申し込んだ。首都圏で活躍中の遠野人や民話のファンの多いことは知らないでもなかったが、社会学や人類学、伝承学の専門家の講演にそれほど応募者が多いとは予想しなかった。
 ところが6月26日午後、会場の四谷区民センターに行って大いに驚いた。400名を収容する会場は立ち席も含め聴衆で埋り、“当日参加”狙いの人たちは受付で断わられている。
 こんな地味なテーマの勉強会に押し寄せる人達の好奇心の源泉と目的はどこにあるのか。シンポジウムの中味より、まずそちらの方に興味が湧いた。
 会場を見回すと男女比はほぼ半々、シニア若者比も半々、居眠りする人も見当たらず、皆さん真剣に4時間半におよぶ講演と討議を聞き入っている。
 休憩時間中、ロビーで遠野の出身と思われる人たちが、やあやあと挨拶を交わしている光景が目に付いた。柳田国男の「遠野物語」を郷土の誇りとし、「刊行100年」にまつわるイベントに次々と参加している人たちであろう。これぞ郷土愛。当時日本のチベットと言われた岩手県の山奥から出てきた人達の連帯感は相当強そうだとお見受けした。
 若い人も多いが、これはどうやら講演者、シンポジスト輩下の学生諸君。中年のおばさん達は、失礼ながら民俗学に興味をお持ちとは見えないのだが、新宿区の住民で区民講座にはまめに出席する方々と見てとった。
 何れにせよ受講料2,000円を払って、これだけ多くの人が「遠野物語100年」に集まる。日本は健全である。

 さて、私は遠野には三度行った。しかし最初は国鉄全線完乗を目指していた頃で、釜石線のデイーゼルで通過しただけで滞在はしなかった。二度目、三度目は遠野市内に泊まって、民話のふるさとを見て廻った。「昔、あったずもな」で始まり「どんとはれ」で終るオシラサマとかザシキワラシを語り部から聴いたこともある。
 しかし正直のところ、北上山地の小盆地遠野地方に伝わる119話にはあまり感興をもよおすことなく、専ら興味は遠野地方に展開される日本の田舎を象徴する原風景と南部曲り家などを撮ることにあった。

 こんな私が、今回のシンポジウムに参加して大いに反省した。あまりにも知らないことが多すぎるのだ。
 多くの人はすでにご存知かもしれないが、

  • 「遠野物語」は遠野の人、佐々木喜善(22歳)から柳田国男(33歳)の聞き書き、それも東京・新宿でなされたものである。
  • 柳田が読者として想定していたのは東京人である。
  • 今や古典になりつつある名著だが、発刊当初(1910年)は350部の自費出版であった。
  • 文学者としては泉鏡花、芥川龍之介がわずかに評価した程度であった。
  • 日本の民俗学の系譜は柳田をもって嚆矢とし、折口信夫、宮本常一に引き継がれる。
などを今回はじめて知った。

 どろどろした地縁、血縁社会で言い伝えられ、語られてきた「神々と妖怪の昔語り」。
 100年前東京で生まれた「遠野物語」が今なお読み継がれる現代的意義は何か。博学の多彩な講師陣の話を反復しつつ帰途についた。

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