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エッセイ・コラム 芸術・芸能・音楽

幻の白樺美術館

大平 忠

 この春にしては珍しい初夏のような日に、学生時代の旧友たちと、かつて東の鎌倉といわれた我孫子界隈を散策した。
 最初に訪ねたのは「白樺文学館」であった。大正2年創刊から大正12年廃刊までの雑誌『白樺』が全巻揃っている。志賀直哉、武者小路実篤等の初刊本を始めとして書簡、絵画類も展示されていた。小説家と並んで、数は少ないながら陶器のバーナード・リーチ、河合寛次郎、濱田庄司、衣装の芹沢鮭介、版画の棟方志功の作品もあった。白樺派の小説家たちは、これらの人々と親交があり、『白樺』でも紹介に努めたようだ。
 後に「日本民芸館」を設立した柳宗悦は当時我孫子に住み、志賀直哉一家と特に親しかったらしい。
 館長の説明のときに一つ質問をした。倉敷の「大原美術館」にもバーナード・リーチ以下まったく同じ人たちの作品が陳列されているが、ひょっとしてこの「文学館」と関係があるのかどうかと。すると、館長は次のような説明をしてくれた。
 大正末期に、文学館とともに美術館を作る構想があった。ところが、関東大震災の後、『白樺』の発行が難しくなり、文学館・美術館設立の話も消えてしまった。そこで、かねて民芸運動に関心が深く、柳宗悦と親しかった大原孫三郎さんに美術作品を委ねた。その結果、本来「白樺美術館」に飾られるべき作品が「大原美術館」に展示されることになったのだそうだ。なるほどと納得した。文学館だけは遅れて昭和五年にできたという。

 「白樺文学館」を出て昼食を済ませ、午後は手賀沼のほとりを歩いた。ある時期、この沼も汚染され岸辺も荒れていたようだが、水もきれいになり往時を偲ばせる風趣も戻っている。我孫子に住む人々は、昔の名残りを大切に、景観の維持回復に懸命の様子である。もし関東大震災なかりせば、この地に「白樺美術館」は設立され、一層我孫子の魅力度を上げていたことであろう。惜しまれてならない。

(平成22年7月13日)

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