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エッセイ・コラム 日常生活雑感

アインシュタインの手紙

大平 忠

 最近、子供の頃に読んだ『世界名作選』(1935~37年新潮社少国民文庫、1998年復刊)を読みかえしていたところ、アインシュタインの「日本の小学児童たちへ」という短い手紙が掲載されており、これを読んでいるうちにまず出だしの一節に注意を引かれた。
 「私は日本の小学児童諸君へこの挨拶文を送ろうとしていますが、それには特別なわけがあります。私はあの美しい日本を訪ねて、その都市や家屋や、その山や森を眺め、そしてそこで祖国への愛を創りあげた日本の子供たちを見て来たからです。……」(原文のまま)
 これは約1ヵ月滞在した日本での印象の素晴しさを語っている言葉である。調べてみると、来日したのは1922年(大正11年)。この時、美しい山や森の自然に加えて人的、物的にもアインシュタインが魅了されるものがこの日本にあったことを物語っているようだ。

 1923年には関東大震災があり、関東の街の様相は一変し家屋もすべて倒壊、焼失してしまった。アインシュタインはこの前年に来日していたのだった。名著渡辺京二『逝きし世の面影』で取り上げている明治初期の来日外国人が惜しんだ古き日本の「面影」を、大正も末になっていたが、彼は僅かながらでも感じ取ったのではなかろうか。

 アインシュタインの手紙には、日本の美しさを称える他に、最後を締めくくって、
 「(第1次大戦が終わり)異なった国々の人たちが……憎み合ったりしたことすらあったのに、我々の時代になって始めて親愛にかつ十分に理解し合って交流するようになったということを、どうかよく考えて下さい。……そして諸君は我々の時代よりももっとよい時代を築くことを望んでいます」(一部意訳)と書かれている。これにも考えさせられるものがあった。
 アインシュタインは、この手紙を書いたときには想像もつかなかった世界情勢が到来して、自らも波乱の後半生をたどることになる。ヒットラーのユダヤ人迫害から逃れてアメリカへ亡命、第2次大戦が勃発するや、ルーズベルト大統領に「原子力の軍事利用」を示唆する。戦後は、核兵器廃絶と科学の平和利用を世界に訴え続けて一生を終える。
 アインシュタインは1945年当時、原爆投下の報せを聞いて、昔見た美しい日本が破壊されたことを、自分がかつて語りかけた子供たちが戦う相手国の兵士あるいは被爆者となって死んでいったことを、心にどう受け止めたのであろうか。65年前のアインシュタインの心情は果たしていかなるものだったのであろうか。

 88年前に書かれたほんの短い日本の小学生の児童へ宛てた愛情のこもった手紙を、この原爆投下65年目の今読むと、感慨がいくつも湧きそれぞれに奥深いものがある。

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