体験記・紀行文
或る別れ
メール着信に気がついた。羽田から自宅方面に向かうバスの中で、携帯電話に電源を入れたときのことだ。メールを開くと、送信の主は昔から親しくしている女友達の一人からだった。
「現在の私は刻々と近づく主人との別れに心の整理が……。急のことでついていけない」とある。
還暦をとっくに迎えている彼女とご主人との間に何があったのだろうか。一瞬想像を逞しくした。夫婦仲が悪い話は本人からも、周囲の友人たちからも聞いたことがない。尤も、昔からご主人のことを直接聞かされたことは殆どなかった。会ったこともなければ、写真を見せられたこともない。心臓がどきどきしてきた。
一呼吸おいてメールを読み進めると、「夏バテと言い張っていた主人が肝臓癌の末期と分りました。手術も抗癌剤も駄目。すごい進行の速さに先生もビックリ……」。悲しそうな彼女の顔が目の前に浮かび、天井を仰いだ。
「食欲全くなし、だるさと戦い黄色くなった主人を見るのは辛いです。会う前に安定剤を飲んで泣かないようにしています……。入院して10日でホスピスですよ。何で!何故!と一人の時にこらえきれずに泣いてます」と続く。
何と返事をしたらいいのだろう。どんな言葉が彼女を慰められるのだろうか。暫くは呆然と暗いバスの席で思案に暮れてしまった。その日は、時間が遅かったので返信を遠慮したが、翌朝になっても月並みな言葉しか思い浮かばなかった。
数日後、彼女とは同窓の別の女友達からメールが入った。葬儀の知らせだ。お通夜の日付から逆算すると、最初に彼女がメール送って寄こしてから一両日中に未亡人になってしまったはずだ。何はともあれ、既に入っていた予定をキャンセルして、千葉で行われるお通夜に馳せ参じたのは言うまでもない。
喪主の席でハンカチを片手に、残された家族と一緒に並んでいる喪服姿を見るのは忍びなかった。参列者の焼香が始まると、うっすらと笑みを浮かべて焼香者一人ひとりの顔を確認して会釈する。最後を看取るまでの数日の間は途方に暮れて泣いていたに違いない。その悲しみを顔に表すまいとする気丈さが、むしろ彼女の優しい女らしさを全身に漂わせていた。
お清めの席を立って、彼女に挨拶をする機会を伺っていると、目聡くこちらに近寄ってきて、「大丈夫、元気で明るく過ごしていけるから、今まで通りにお願いします」と言って頭を下げた。その顔には、これからの生き方への毅然たる決意が漲っているように思えた。亡くなったご主人も、安心して天国に向かわれるだろうと、胸を撫で下ろしながら葬儀場を後にした。