随想
枯草のざわめき;「ある夏の体験」
この夏は記録的な猛暑続きだったが、あの北海道の山奥はどうだったろう。
大学3年の夏休み、ぼくは3週間ほど北海道で過ごした。はじめの2週間は学友と二人でアルバイトをしてお金を貯め、それを使って北海道を周遊しようという我ながら堅実な計画である。
帯広から営林署の車で日高山脈に向かって走り1時間、岩内仙峡谷の先をさらに2時間ほど登った深山の中にぼくたちの宿舎となる飯場があった。都会育ちのぼくたちは、こんな人里離れた山奥で2週間も過ごせるのかと心細くなる。
ただし環境は絶好だ。宿舎の周りは北海道らしくトドマツ、エゾマツとダケカンバの混成林だがそれほど密ではなく、木漏れ日が差し、乾いた風が吹いて快い。昼間が暑くても、夜は気温が下がりストーブを焚く日もあるという。
ぼくたちの仕事は、立木(りゅうぼく)量を推計するために山林を測量すること。まず営林署の職員に案内してもらって見晴らしのいい所に登り、作業範囲を眺めると思ったより広くない。作業は翌日からだが、予定より早く終わりそうに思われた。職員にそういうと彼は笑って、その時は林野庁の保養所にしている温泉に連れて行ってあげるというので、ぼくたちは張り切った。
ところが、実際に測量を始めてみるとなかなか捗らない。現場は上り下りが激しい上に足場が悪くて重くて大きいトランシット(測量機)を運んで扱うのに難渋した。それに樹木が多く木々の間にはつる植物が蔓延(はびこ)っており見通しが利かない。大学のキャンパスや演習林で実習した時とは大違い、自然は手強く実戦は予想を超えて厳しかった。
それでも三日間悪戦苦闘してなんとか最初のブロックの測量を終え、製図してみた。ガックリだ。一周して始点と終点が一致する筈なのに大きくずれている。精度の許容限界を超えており、再測量しなければならない。が、その時間がなかったので今白状すると強引に辻褄を合わせてごまかした。こんな山中の現場までチェックに来ることはないだろう、という善からぬ居直りをして。といって、全ての作業をこんな調子でやったわけはない。徐々に慣れて手早く正確に測量できるようになり、なんとか予定通り業務を完了した。
宿舎の作業小屋には、ぼくたちの他に林業労務者が20人ほど寝泊まりしていた。というより、彼らの飯場にぼくたちが転げ込んだのだ。その人たちは造林地の下刈り作業を終日している。聞くと青森の下北から出稼ぎに来た農夫という。純朴な人たちだ。夏の間二ヶ月ほど、ここで一日中柄の長い重い鎌を振り続ける、軟弱な都会人のぼくたちにはとても出来ない重労働である。
しかも食事がひどく粗末だ。飯は大盛りだが、おかずは辛い塩鮭と沢庵に味噌汁。弁当は梅干しと昆布の佃煮だ。肉体労働の彼らが粗食に耐えているのだから、ぼくたちも同じ食事で通そうとしたけれど、お腹がすいて我慢できず別料金の缶詰や菓子類を毎日買って食べた。そのため最後に清算したときは手取りのアルバイト代が予定より大幅に少なくなり、当初の堅実な計画は思惑はずれとなった。
この後、ぼくたちは1週間、他の学友二人も合流して四人で北海道の主だった観光地を巡り歩き、内地では観ることができない壮大な景観を堪能した。
社会人になってからのぼくは工場と本社勤務で森林はおろか田園生活も送ったことがない。その後流行となったアウトドアーの経験もないので、あのとき北海道の大自然の中、森で働く人たちと一緒に過ごした日々の生活は、ぼくの人生の中で二度とない貴重な体験となった。