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エッセイ・コラム 政治・経済・社会

国のかたち

野瀬 隆平

 国外の脅威から国民を守ることは、国の最大の役割である。第二次大戦後、経済的な復興と発展を最大の目標として掲げ成功したと思うが、その一方、国をいかに守るかについては、真剣に考え正面から取り組んでこなかったのではないか。アメリカの庇護の下にいれば、なんとなく安全だと思ってきた。

 しかし、ここに来て米軍の沖縄基地や、中国とのいざこざが現実的な問題となり、国の防衛と安全保障を根本から見直す必要に迫られている。安保条約改正から丁度半世紀を経た今日、まさに、この国のありようを改めて考えるときが来ているといってよい。米軍基地の問題も、代替地をどこに求めるかという、矮小化した捉え方ではなく、そもそも日本の国防はどうあるべきか、日米安保条約をどう位置づけるか、基本から考えなければならない。

 日本の近代史を振りかってみると、わが国の形はいずれも外圧を受けて変わってきたといえる。明治維新は、諸外国からの開国の圧力により、切迫した状況の下でなされた。富国強兵という目標の基にまい進しある程度成功したものの、次第に日本を取り巻く諸外国との関係がうまく行かず、大戦に追い込まれた。そして、世界を相手にしたこの戦いに敗れ、ここで再び国の形は一変した。明治維新からおよそ七十年後のことである。象徴的にいえば、四杯の「蒸気船」と二発の「原爆」という、いずれもアメリカからの圧力による変革だった。

 それから更に七十年近く経った今日、また国のありようが問われている。日米同盟だけに過度に頼るのではなく、自分の国は自分で守るという気概と備えを持たなければ国の安全は守れない。国防の問題を含め、この国の形をどのように構築しなおしたらよいのか。

 今度、日本が変わるときは、またもや外圧によるのではなく、国民の自発的な働きによって達成したいものだ。安保条約を破棄するというアメリカからの一枚の「離縁状」などということでなく……。少なくとも、隣国との間で起こる一発の「銃声」が引き金でないことを祈りたい。

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