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エッセイ・コラム 日常生活雑感

秋、上野、日本学士院

大平 忠

 秋になると、上野の美術館、博物館界隈を歩きたくなる。先日は上野駅に一番近い西洋美術館にまず入った。この館ができてはや半世紀が過ぎた。この間何度ここへ来たのであろうか。1時間半程絵を見て歩き、少し疲れたので館内のレストランでコーヒーを飲み一休みして外へ出た。
 さて、美術館を出て次はどこへ行こうかと歩きだしたとき、貼ってあるポスターが目に入った。「日本学士院授賞100周年記念展」が開催されているとのこと。そうか日本学士院はこの上野にあるのか。迂闊にも今までどこにあるのかさえも知らなかったのである。

 では一度行ってみようかと足を運んだ。科学博物館の横というか裏というか
 地図で見ると博物館の四つ角の一角が切り取られて日本学士院がある。れんが色の簡素で落ち着いた雰囲気の建物である。飾り気が無さすぎる感じもするが学問の殿堂にはふさわしいか。建築家谷口吉郎の設計だそうだ。
 展示を見た。そもそもの成立の起源は、明治6年の「明六雑誌」にあり、初代学士院長が福澤諭吉というから歴史の重みを感じる。展示物は、日本学士院の歴史と、第1回の恩賜賞の写真、式典の挨拶、いくつかの受賞者の研究紹介があり、最新のものとしては今年第100回の恩賜賞を受けた京大山中伸弥教授の「IPS細胞の研究」の概要が分かり易く紹介されていた。部屋の壁には歴代学士院長の写真が初代の福澤諭吉から現在の第24代久保正彰学士院長まで掲げられていた。
 第1回の授賞は、明治44年(1911年)高峰譲吉「アドレナリンの研究」に対してである。そういえばノーベル賞間違いなしの研究なのに授賞を逸したことは100年経ったいまでも残念な例としてときどき耳にする。
 展示を見ているうちに、第1回授賞式の学士院長演説原稿のところで足が止まった。心を打たれたので原稿の一部を書き写してきた。

「一国の文明、国民の品位は、独り陸海軍の強大、産業隆盛又は富の程度等物質的なものにのみに限るものではありません。教育の発達、学芸の進歩に多大の関係があることは申すまでもないことであります」

 明治44年といえば日露戦争が終わってまだ6年である。そんな「富国強兵」の時代に、「陸海軍の強大」、「産業隆盛」によってだけでは「国の文明」「国民の品位」は保たれないと言ってのけた歯切れの良さと毅然とした姿勢に、思わず身体全体がぶるぶるっと震えた。やがてじわじわと感動が襲ってきた。途端に今いるこの日本学士院が崇高なものに思えてきた。

 家に帰り早速この演説を行った第9代院長・菊池大麓とはどういう人物かを調べた。
 ケンブリッジの数学科を首席で卒業、日本に初めての近代数学をもたらした。東京帝大の数学教授から総長を経て明治34年(1901年)桂太郎内閣の文部大臣、明治41年(1908年)には京都帝国大学の総長、その後明治42年に帝国学士院(日本学士院の名称は東京学士会院、帝国学士院、そして日本学士院と変遷している)の院長に就任している。学問の長を全部歴任したという教育界の超大物であった。文部大臣をやったからといって軍部に遠慮することなくこれだけの演説ができる人物も立派なら、またこういう人物を教育・学問の長に据えたというこの時代の日本もまた素晴らしかった思う。

 日本の学問の世界における偉大な先人の存在を知って、この世界の門外漢としても、誇らしい気持と尊敬の念に浸ることができた。現在、世界へ留学する学生の減少、理科系志望の漸減など問題山積である。しかし、将来日本の学問世界も偉大な先人に見倣い新たな世界を切り拓いていってほしいと願うや切である。日本の文明と国民の品位の維持向上のために。
 秋、上野の散策は図らずも収穫大であった。

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