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エッセイ・コラム 体験記・紀行文

iPadを買わなかった話

大庭 定男

 今年のはじめ、iPad発売当初より私はこれに関心を持っていた。一枚のパネル(板)がパソコンと同じような機能を持つとはなんと素晴らしい話ではないか。私の書斎は二階にあり、夏は冷房をかけてもかなり暑い。しかし、パソコン(デスク・トップ)なしでは仕事にならない。持ち運びが容易なiPadにすれば、涼しい階下で、家内と一緒に仕事ができる。電気代も節約になるというメリットもある。こんなことを考えながら、新宿の家電量販店に向かった。

 店員は親切に応対してくれた。私の数々の質問にも、現物を前にして丁寧に答えてくれた。ここで、私は、iPadは今までに使ったIT関連機器とはかなり異なるなという印象を受けた。それは

①先ず、説明ビラなど販売促進資料は全くないというのは最大の驚きであった。店員は「買えば、本体に説明書がついています」というが、これでは「説明書などといわず、使える人だけ買ってくれ」ということではないか。メーカー(Apple社)はその技術、来るべき他社製品(当面、見当たらないが、必ず出てくると思う)との競争にも自信を持っているからだと思うが、消費者無視、あるいは軽視のそしりは免れない。あるいは、Apples社の傲慢ではないかとも思い、釈然としない思いがした。

②iPadには6タイプあり、通信方法にもwi-fi、3Gの2種類あるから、どのタイプが自分に最適かを検討して機種を決めなければならず、買う前に相当研究しないといけない。

③「携帯コンピューター」とでも言えそうなこの機器は、ビジネスマンのみならず、主婦、寝たきりの病人にも使えるのではないか。しかし、使用方法はそんなに簡単では無いようである。しかし、電車の中で携帯電話を使用(メール)している人は珍しくないが、パネルを膝の上に乗せ。iPadでメールしている人にはまだ出会っていない。何故だろうか

④価格は4万円余りで、性能、使い勝手からすれば、かなり安いと思う。

⑤戦後、ラヂオに始まり、すべての家電、音響機器で「小型化」をリードしてきた日本メーカーが「PCをパネルに閉じ込めた」iPadのような製品を何故開発しなかったのだろうか。これも色々な部門で見られる「元気のない日本」の象徴だろうか

 こんなことを考え、また、現実に、88歳の私が家から離れた場所で、このような高度技術集約製品を必要とする機会がどれだけあるかなどを考えれば、「今、買わなくても、どうしても必要だという時になって買えばよい。その時には、恐らく、さらに改良を重ねた日本製品が出ているだろう」との結論に達し、「はじめてのiPad完全活用マニュアル」という参考書だけ買って帰宅した。

 私は、電話機を最近買い換えた。「最もシンプルな機械」を買ったが、これまた、複雑で、全部の設定はまだ済ませていない。私にはまだ、取り組もうと言う意欲があるが、この意欲をなくしてしまった老人、特に一人暮らしの、機械に弱い老婦人などの場合、使いこなせず、「IT機器ヘルパー」が必要となるのではないだろうか。

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